ノムさん「600号本塁打」もスポーツ紙1面は「長嶋巨人の2ケタ借金」…「長嶋茂雄さん」をヒマワリに喩えた野村克也さん「月見草」発言の真相
長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督が亡くなった(享年89)。「昭和100年」の節目にあたる今年、「昭和」を代表するスーパースターが旅立った。長嶋監督といえば、現役時代から数々のライバルと死闘を繰り広げ、ファンを喜ばせてきた。「最大の好敵手」と聞けば、様々な名前が浮かんでくるだろうが、なんといっても故・野村克也氏(2020年没)だろう。現役時代はリーグを異にしていたが、90年にヤクルトスワローズ(当時)の監督に就任してからは、グラウンドの内外で数々の“名勝負”を繰り広げた。野村氏が亡くなった直後の2020年3月に刊行された『野村克也の「人を動かす言葉」』(新潮社刊)の中で、長嶋監督と巨人との思い出を綴っている(以下、同書より引用)。
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「月見草」発言の舞台裏
〈私の現役時代、野球界の人気は、まさに巨人一党体制だった。それを最初に痛感したのは、1959年6月25日だったかも知れない。熱心なファンならおわかりだね。後楽園球場で、巨人VS阪神の天覧試合が行われた日だよ。同じ日、わが南海ホークスは大阪球場で近鉄バファローズ戦だったけど、観衆はわずか2753人だった。因みにこの年、ホークスは日本シリーズで4連勝して巨人を破っているんだけどね。
他にもこんな例がある。私がプロ22年目、王に続き史上2人目となる通算600号ホームランを放った時だ。私はマスコミを前に語った。
「王や長嶋はヒマワリ。それに比べれば、私なんかは日本海の海辺に咲く月見草だ」
私の口説の中でも、もっとも有名なものじゃないかな。1975年の5月22日、日本ハム戦でのことだった。
ところがだ。私のこの記録も言葉も、スポーツ新聞の一面を飾らなかった。翌日の東京の各紙が一面で伝えたのは、以下の内容のニュースだった。
「長嶋監督率いる巨人が、球団史上、初の2ケタの借金を背負った」
(略)積年、球場に閑古鳥が鳴いていたパ・リーグだったから、私だって、それを手をこまねいて見ていたわけじゃない。先の「月見草」発言だって、色々考えたんだ。
まず、600号の感想を言う前に、「自分がこれまでやってこられたのは、長嶋や王がいたからだ」とした。これで、記者の興味を一気に引き込む。続いて、当時のパ・リーグの現状に触れながら、
「彼らはいつも人の目の前で華々しい野球をやり、こっちは人の目にふれないところで寂しく野球をやってきた」
そして、ここからが大事なところ。実は太宰治の『富嶽百景』の一節「富士には月見草がよく似合う」からヒントを得たんだよ。(略)そして、対を成す花だが、これは実はサッチー(注・妻の沙知代さん、17年没)の発案だった。「月見草が陰だとしたら、光り輝く花は何だと思う?」と尋ねたところ、「ヒマワリ」と即答したんだな。
(略)繰り返すが、この「夫婦の共作」も、長嶋巨人の2ケタ借金のニュースに負けた。
だから、1989年末、ヤクルト監督に就任した際、私は相馬和夫球団社長に言った。
「アンチ巨人を、どんどん打ち出しますから!」
当時のマスコミの巨人偏重姿勢。これを逆に利用すれば良いと思ったんだ〉
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