【追悼・長嶋茂雄さん2】ミスターが残した伝説の珍プレー まさかの敬遠球を“大根切り”でランニングホームランも
3度のアピールアウト
6月3日、巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏が肺炎のため死去した。89歳だった。生涯、野球への情熱を絶やさなかった長嶋氏は、2013年5月5日に松井秀喜氏とともに国民栄誉賞を受賞。長嶋氏が多くに人に愛された理由の1つに、公私にわたっての人間味あふれる「珍プレー」がある。ビックリ仰天させられながらも、時にミスターらしいほのぼのとしたムードを感じさせる珍プレーの数々をご紹介する。【久保田龍雄/ライター】
(全3回の第2回)
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※2023年5月4日に配信した記事を再編集してお届けします。年齢・肩書は掲載当時のものです。
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ベース踏み忘れで本塁打がパーになったり、計3度にわたる“三角ベース事件”など、珍プレーのエピソードに事欠かない長嶋だが、対戦相手のベース踏み忘れも3度にわたってアピールアウトにしている。
まず1959年4月22日の大洋戦で、三塁打を放った岡田守雄の一塁ベース踏み忘れを三塁から目撃してアピールアウトを取り、64年4月30日の大洋戦では、伊藤勲の右前安打で二塁から生還した森徹の三塁ベース踏み忘れを指摘して、得点を無効にしている。そして、3度目の71年6月24日も同じ大洋戦だった。
1対0とリードした6回の守り、1死二塁で中塚政幸が中前安打を放ち、二塁走者・飯塚佳寛が生還、1対1の同点になったかに思われた。
ところが直後、長嶋が「飯塚の右足が三塁ベースから10センチも離れていた」とアピールすると、手沢庄司三塁塁審はアウトを宣告し、大洋の得点は幻と消えた。
アピールプレーで流れをガッチリ引き寄せた巨人は、その裏、長嶋の左中間上段への一発などで決定的な3点を加え、4対0と快勝した。
「オレもやったことがあるから、簡単にごまかされんよ」
バットと目の両方で勝利に貢献した長嶋は「オレはいつも見てるんだけど、飯塚の奴、まったくベースに触れずにまたいで行っちゃった。アンパイア(手沢塁審)の顔を思わず見たら、“触塁を怠って行っちゃった”という顔だ。よし、この顔ならいけると思って、ワンちゃん(王貞治)にボールを投げさせたんだ。オレは新人時代(58年9月19日)、広島戦でホームランしながら、一塁ベースを踏まずに行ってパーにした経験がある。オレもやったことがあるから、簡単にごまかされんよ」と得意満面で解説した。
その一方で、「ホームランなら、バッターの仁義で知らん顔してやるが、あの(1点差の)場面でタイムリーじゃ、そうもできん。だから、“こういうこともあるさ”と、(飯塚を)慰めてやったんだ」と人情味のあるところも見せていた。
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