師としての感謝はあれど、新天地を選んだ夫に未練はなかった… 「マーサ三宅さん」と「大橋巨泉さん」の出会いと別れ 「夫婦以上にジャズを介した絶妙なコンビ」
物故者を取り上げてその生涯を振り返るコラム「墓碑銘」は、開始から半世紀となる週刊新潮の超長期連載。今回は5月14日に亡くなったマーサ三宅さんを取り上げる。
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巨泉さんが与えた影響
マーサ三宅さん(本名・三宅光子)は、日本の女性ジャズ歌手の第一人者だ。1950年代初頭から歌い始め、トップシンガーへ駆け上った。そこでは元夫の大橋巨泉さん(2016年に82歳で他界)の助言が大きな役割を果たした。
当時の活躍を知る音楽評論家の安倍寧さんは言う。
「マーサさんと巨泉は夫婦以上にジャズを介した絶妙なコンビでした。当時、巨泉は新進気鋭のジャズ評論家で、スタンダード・ナンバーの歴史的な背景や歌詞の意味をマーサさんに丁寧に教えた。曲の心情も理解してマーサさんの表現力はさらに豊かになりました」
巨泉さんの司会でマーサさんが歌う機会も多かった。
「ジャズ喫茶などで、まず巨泉が曲の由来を端的に説明します。それが小話のようで面白いだけでなく、なるほどと思う内容がある。こうして聴衆がワクワクしているところに、マーサさんの歌声が始まりすっかり引き込まれた」(安倍さん)
二人が共に暮らしたのは8年ほどの間だった。
才能にほれた
33年、満州の四平街生まれ。父親はマーサさんが幼い頃に病気で他界。46年、母親と引き揚げ東京へ。
音楽学校でクラシックの声楽を中心に学ぶ。家計を助けたいと、高校時代からグランドキャバレーで歌い始めた。当初は淡谷のり子らの歌謡曲をよく歌った。53年にプロデビュー。勧められジャズを歌い出す。
一方、巨泉さんは同じ頃早稲田大学在学中からジャズ評論を発表していた。
音楽評論家の湯川れい子さんは思い返す。
「巨泉さんは英語が得意で取材にも長けていた。遠慮がなく的確な評で、若手でも一目置かれていました。マーサさんは大スターになれると才能にほれたのですね」
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