打撃不振の日ハムが善戦 過去には12球団ワーストのチーム打率でリーグ優勝も…“貧困打線”でも優勝できる「条件」を野球史から紐解いた

スポーツ 野球

  • ブックマーク

「サッカーみたいな試合をやりやがって」

 ちなみに翌62年に15年ぶりリーグ優勝を達成した阪神も、チーム打率は12球団ワーストの.223で、リーグ最低打率で優勝した4チームの中で最も打てなかった。

 27勝の小山正明、25勝の村山実の両エースが奮闘し、打線をカバーした結果だが、その後、貧打を解消するため、翌63年オフ、小山と大毎の主砲・山内一弘との“世紀のトレード”が成立した。

 1986年の広島も、チーム打率はリーグ4位の.254、3割打者ゼロとけっして打てるチームではなかったが、シーズン終盤のラストスパートで奇跡的な逆転Vを実現している。

 同年の広島は、打線の主軸を担う山本浩二、衣笠祥雄の両ベテランがともに39歳。二人が体力を消耗する夏場に得点力が大幅にダウンした。
 
 球宴明けから8月末までの32試合中16試合までが2得点以下(3得点も6試合)という貧打ぶり。8月の月間チーム打率も.231まで落ち込んだが、それでも12勝11敗3分と勝ち越した。当時の四コマ漫画で、2対1などの接戦が多い広島を「サッカーみたいな試合をやりやがって」と皮肉ったシーンが登場したと記憶している。

 一方、投手陣は同年に導入された低めのストライクゾーンの追い風を受け、北別府学、川口和久、金石昭人、長冨浩志、抑えの津田恒実らがリーグトップのチーム防御率2.89をマーク。1点差試合を13勝8敗と接戦での強みを発揮し、打線をカバーした。

 10月に入り、2位ながら残り9試合でマジック「9」というひとつも負けが許されないなか、同7日、首位・巨人が最下位・ヤクルトに不覚を取り、残り4試合でマジック「3」とすると、10月9日から3連勝して見事逆転Vを実現。阿南準郎監督は「ウチは常に“それなり”の試合ができたということです」と振り返っている。

 このほか、1980年代から90年代にかけて黄金時代を築いた西武も、82年と87年はチーム打率が2割5分前後ながら、いずれもリーグワーストだった。

“貧困打線”のチームでも、防御に徹して失点を最小限に抑え、“相手より1点多く取って勝つ野球”ができれば、優勝が可能ということがわかる。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。