相手チームを「無安打に抑えながら敗戦」という超レアケースも 「ノーヒットノーラン」よりも珍しい“無安打有失点試合”が生まれる条件とは
西武・今井達也が4月18日のソフトバンク戦で8回を無安打1失点に抑え、平良海馬との継投で“ノーヒットワンラン”を達成した。過去に失点しながら無安打に抑えた試合は4例あるが、1964年5月13日の南海対近鉄で、近鉄・牧野伸、山本重政の継投で無安打1失点勝利が記録されて以来、61年ぶりの珍事だった。ノーヒットノーランよりレアな“無安打有失点試合”を振り返ってみよう。【久保田龍雄/ライター】
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相手チームを無安打に抑えながら試合に敗れたケースは1例だけ
まず2投手の継投で9回を無安打に抑えながら、試合に敗れたのが、1939年の南海だ。
5月6日の阪急戦、4回に国久松一のタイムリー三塁打で1点を先制した南海だったが、6回に先発・宮口美吉が四死球とエラーで1死満塁のピンチを招き、黒田健吾の犠飛で同点に追いつかれてしまう。
7回から2番手・平野正太郎がリリーフしたが、先頭の岸本正治に四球を与えたあと、次打者・田中幸男の送りバントの打球を処理したサード・鶴岡一人が痛恨の一塁悪送球。これが決勝点となり、南海は1対2で敗れた。相手チームを無安打に抑えながら試合に敗れたのは、NPBの長い歴史の中でもこの一例だけだ。
くしくも鶴岡は25年後の南海監督時代、今度は近鉄・牧野、山本の継投の前に無安打1得点の敗戦を味わうことになる。
同じ年には9回を無安打1失点完投した投手が“ノーヒットワンラン”で勝利投手になる珍事も起きている。
8月3日のイーグルス対金鯱、イーグルスの先発・亀田忠は初回に無安打で2死満塁のピンチを招くと、6番投手の古谷倉之助に押し出し四球を許し、1点を失う。
だが、亀田は10四球を記録する乱調ながら2回以降失点を許さない。試合は1対1の9回2死一、二塁、木下政文の一ゴロが敵失を呼び、イーグルスがサヨナラ勝ち。亀田は無安打1失点完投で7勝目を挙げた。
ハワイ出身の日系2世・亀田は、身長174センチ、体重90キロで、今でいうなら西武・中村剛也に近い体型だった。重量を利して自慢の豪速球を投げ込む一方、制球に難があり、同年は297奪三振、273与四死球でいずれもリーグトップ。典型的な「三振か四球か」という荒れ球投手だった。また、イーグルスは守備に難があり、同年はリーグ2位の203失策を記録。亀田は捕手が落球するたびに怒って顔を紅潮させたことから、“怒り金時”の異名もとった。
ちなみに、亀田は、翌40年3月18日のライオン戦で史上5人目6回目のノーヒットノーランを達成しているが、この試合も9四球を許し、味方も2失策を記録。このような状況だったので、無安打有失点は生まれるべくして生まれたと言えるかもしれない。
珍しい「無安打2失点」の記録も
“ノーヒットワンラン”の上をいく“ノーヒットツーラン”を達成したのが、大阪(現・阪神)のルーキー・村山実だ。
5月21日の巨人戦、村山は直球を内外角の低めに散らし、鋭いカーブと大きく落ちるドロップを決め球に、1、3回を3者三振に切って取るなど、巨人打線を翻弄する。
2対0とリードの5回、先頭の長嶋茂雄に四球を与え、初めて走者を許すと、1死二塁で広岡達朗の三ゴロを三宅秀史が一塁に高投し、ファースト・藤本勝巳が後ろにそらす間に1点を失う。さらに村山自身も次打者・宮本敏雄の緩い当たりの投ゴロを一塁に悪送球し、無安打で2対2の同点に追いつかれた。
だが、6回に三宅が自らのミスを挽回する左越えソロを放ち、3対2と勝ち越すと、村山は「あとのことは考えず、もつところまで力一杯」と全力投球を続ける。
6回から8回は1四球を許しただけで、依然ノーヒット。そして、9回2死、長嶋をフルカウントから外角一杯の快速球で三振に打ち取り、無安打2失点、毎回の14奪三振で完投勝利を挙げた。
14年間で通算222勝を記録した村山だが、皮肉なことにノーヒットノーランは一度も達成できなかった。
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