「ある年、年賀状が宛先不明で戻ってきて…」 “およげ!たいやきくん”作詞家も気にする「子門真人」の消息 フジの担当者に託した伝言とは

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フジの担当者に託した伝言

 だが、やがて三人で会う機会は減っていった。

「子門さんと最後に会ったのは40年近く前でしょうか。ある年、年賀状が宛先不明で戻ってきて、僕も彼の居所が分からなくなりました。子門さんたちと撮った写真も残っていません。過去の栄光に縋るようになったらいい新作ができなくなると思って、『たいやきくん』関連のものは全部処分してしまったんです」

 そのかいあってか、

「90年代に出した絵本『たこやきマントマン』シリーズはテレビアニメにもなり、発行部数が累計1000万部近くになりました」

 たい焼きの後には、たこ焼きでも当てたのだった。

 一方の子門は93年ごろから隠遁生活に入る。90年代には軽井沢で暮らす様子が報じられたが、表舞台に立つことはなかった。本誌(「週刊新潮」)は2007年、妻の実家が営む会社の破産整理のため、子門が夫妻で東京・上野に居住していたことを報じている。その上野からも転居し、行方は杳として知れない。

「先日、フジテレビの『ポンキッキ』の担当者に子門さんのことを聞いてみたんですよ。そしたら“もう人前で歌う気はないので、僕の居場所は教えないで下さい、って言われています”という返事でした」

 作詞家は過去の栄光を封印して次のヒット作を生んだ。その曲の歌い手は、過去どころか未来をも封印してしまったようである。

週刊新潮 2025年5月1・8日号掲載

ワイド特集「天国と地獄」より

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