世の中に「阪神ファンは凶暴」のイメージを植え付けた「催涙スプレー事件」 地方球場での対阪神戦が10年間“出禁”になった大騒動とは
昭和から平成にかけて試合中や試合後に多数のファンが暴徒と化して起こした事件を紹介する特別企画。最後の第5回は、2003年6月11日の中日対阪神の試合後に起きた催涙スプレー噴射事件をプレイバックする。【久保田龍雄/ライター】
(全5回の第5回)
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阪神ファンの挑発に中日ファンが激怒!
1991年にオープンした岐阜市の長良川球場(現・ぎふしん長良川球場)は、同年4月14日に初のプロ野球公式戦、中日対大洋が行われて以来、毎年1、2試合程度、地元・中日戦を中心に公式戦が組まれている。
2003年6月11日、中日は長良川球場で首位を独走する阪神と対戦した。
開幕直後は阪神と首位争いを演じた中日も、4月後半以降じわじわ差を広げられ、同日の時点で10ゲーム差の4位と引き離されていた。
この日も先発・紀藤真琴が3回で4点を失うなど、5回までに0対7と一方的な展開となる。7回に立浪和義、8回に森野将彦のソロで2点を返し、最終回にも代打・荒木雅博の中前安打、代打・リナレスの中越え連打で2死二、三塁のチャンスをつくるが、代打・筒井壮が遊ゴロに倒れ、2対7で敗れた。
事件が起きたのは、21時10分に試合が終了した直後だった。快勝で2位・巨人に9ゲーム差をつけ、気分が高揚した十数人の阪神ファンがグラウンドに飛び降り、右翼席の中日ファンに向かって、「弱い」「降りて来い」などと挑発したことがきっかけだった。
これに対し、激怒した一部の中日ファンがメガホンなどを投げつけ、何人かが警備員の制止を振り切ってグラウンドに突入。阪神ファンと喧嘩になった。
その後、スタンドで取っ組み合いが起きるなど、混乱が広がるなか、突然、「バーン!」という破裂音とともに、右翼席と一塁側スタンドの中間付近から黄色い煙が立ち昇った。目撃者の一人は「髪を茶色に染め、阪神のメガホンを首からぶら下げていた男が通路付近にスプレーを撒いていた」と証言した。
呼吸困難者多数、パニックに陥った長良川球場
通路付近では、約80人の売り子や販売スタッフが控えていたが、煙が広がりはじめると、周囲の観客ともども涙を流し、咳込みながら逃げまどい、「催涙ガスだ、吸うな!」の声も飛んだ。男性の売り子の一人は「トイレの中で取っ組み合いになったようで、その際にバーンというすごい音がした」と証言した。目や鼻、のどの痛みを訴えたり、呼吸困難に陥る者が相次ぎ、パニック状態になった。
また、阪神ファンが陣取った左翼席では、周囲の様子を撮影している報道陣に「フィルムを出せ!」と掴みかかる者もいて、騒ぎはエスカレートする一方だった。
所轄の岐阜北署の警察車両と岐阜市消防本部の救急車、消防車計25台が出動し、間断なくサイレンが鳴り響くなか、31人が病院に搬送され、うち7人が入院した。球場の敷地内にもテントが設置され、のどの痛みなどを訴える人々が救護スタッフの応急手当てを受けた。
1時間経過しても、現場付近にはツーンとする匂いが立ち込め、診察に駆けつけた医師は「防犯用の唐辛子系催涙スプレーが使われた疑いがある」と語った。
事情はどうあれ、野球観戦に来たのに、催涙スプレーを持ち込んだのは、最初から悪用目的だった可能性が強く、あまりにも常軌を逸している。
「選手に何かあったら大変やからな」とずっと様子を見守っていた阪神・星野仙一監督も「何でスプレーなんかを球場に持ってくるんや。ほんまに恥ずかしい。そんなのは、本当の阪神のファンじゃないんだ!」と呆れ顔だった。
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