生卵で前が見えない…ダイエーファンが怒り狂った1996年「日生球場の乱」 今では考えられない王監督への「辞めろ、サダハル!」のシュプレヒコールも

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 昭和から平成にかけて試合中や試合後に多数のファンが暴徒と化して起こした事件を紹介する特別企画。第4回は、1996年5月9日の近鉄対ダイエー戦の試合後、ダイエーの敗戦に怒ったファンが起こした“生卵事件”をプレイバックする。【久保田龍雄/ライター】

(全5回の第4回)

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大阪・日生球場での試合に南海時代からのファンが駆けつけた

 1988年オフに南海を買収したダイエーは、大阪から福岡に本拠地を移したが、南海時代からのファンもかつての名門復活に期待をかけて、熱心に応援しつづけた。

 だが、経営母体が変わっても、チームはなかなか結果を出せず、94年まで南海時代から通算して17年連続Bクラスと“長い冬”が続く。

 王貞治新監督の下、常勝西武の主力・工藤公康、石毛宏典をFAで入団させ、メジャー通算234本塁打のケビン・ミッチェルを獲得するなど、大型補強で上位進出を目指した95年も、4月は14勝9敗とまずまずのスタートながら、終わってみれば5位と、ファンの期待を裏切った。

 王監督2年目の96年も、4月に6勝15敗と負け越し、開幕早々最下位に低迷。同29日の西武戦敗戦後、酒に酔った一人のファンが「納得いかないよ」と涙を流しながら、王監督に面会を求めるひと幕もあった。5月1日の本拠地・福岡ドーム開催のオリックス戦では、応援団が鳴り物応援をボイコットする事態に発展したが、カンフル剤にはならず、チームは5月6日の時点で9勝20敗と最下位に沈んだままだった。

 そんな厳しい状況で迎えた翌7日からの近鉄2連戦は、大阪・日生球場で行われるプロ野球最後の公式戦(同年12月に閉鎖)とあって、南海時代からのファンも多数駆けつけた。

「出てきて謝れ!」「辞めろ!」と非難の声が相次いだ

 だが、7日の試合は、浪花のファンにとって、ひたすらイライラが募る展開となる。初回に2死満塁から先発・ホセがボークで先取点を許したあと、2点タイムリーを浴び、いきなり3失点。2回には1死一塁で大村直之が三塁線ギリギリに転がしたバント打球に、ホセがフーフーと息を吹きかけ、ファウルにしようと試みるコントまがいの珍プレー(結果的にファウルにならず内野安打)でピンチを広げたばかりでなく、平凡な飛球をセンター、セカンド、ショートの3人がお見合いして、2点タイムリー二塁打にしてしまう。

 さらに3回にも併殺コースの二ゴロを落球でオールセーフにした直後に2失点。4回には2死から3連続四球で満塁にしたあと、平凡な三ゴロが走者一掃の一塁悪送球を誘発し、3失点とお粗末なプレーがこれでもかとばかりに繰り返される。これではファンが怒るのも無理はない。

 4対10といいところなく大敗した試合後、約300人のファンがバスの前に立ちふさがり、「パの恥だ!」「お前らプロか!」などの罵声を浴びせた。王監督に対しても、「頑張れ!」の声もあったが、「出てきて謝れ!」「辞めろ!」と非難の声が相次いだ。

 バスの出口に座り込むファンや通路を開けるために置いてあった工事用の三角柱を投げ込む者もいて、全員乗車後もバスは約20分にわたって立ち往生。一歩間違えば暴動が発生しかない緊張状態とあって、ファンを刺激しないよう配慮し、車内の照明はすべて消された。その後、ガードマンの説得でファンも通路を開け、ようやく22時45分に発車となった。

 王監督は「(「頑張れ!」の声に)ああ言ってくれるファンもいるんだな」と感謝しながらも、「でも、厳しい言葉も受け止めないと」と眉間に皺を寄せた。

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