銀座のクラブで「今晩この女と寝るから、お前コンドーム買ってこい」 万引きで逮捕された350勝投手「米田哲也」の豪快エピソード

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【全3回(前編/中編/後編)の前編】

 歴代2位の350勝、19年連続2ケタ勝利――日本プロ野球の歴史に名を刻む大投手・米田哲也氏(87)がスーパーで万引きに及び、窃盗容疑で逮捕された。盗んだのは、2本の缶酎ハイ。残念ながら晩節を汚すことになった名選手は、現役時代に数々の逸話を残していた。

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2000年には野球殿堂入り

 米田氏による“万引き事件”が起きたのは、3月25日。報道によれば、尼崎市のスーパーマーケットで、350ミリリットルの缶酎ハイ2本を着衣に隠し、支払いをせずに店外へ。店長が声をかけると、逃げようとしたためもみ合いになり、米田氏は声を荒らげてつえで殴りかかろうとしたという。110番通報により警官が駆け付け、窃盗容疑で逮捕。缶酎ハイの代金は計303円だった。

“往年の名選手”が起こした事件として、あまりにイメージとのギャップが大き過ぎるために、ショックを受けている方も少なくないだろう。選手時代を知らない読者のためにも、その華々しい活躍と「昭和の大選手」らしい豪快なエピソードを振り返ってみよう。

 スポーツ紙デスクが解説する。

「鳥取出身の米田さんは、高校卒業後の1956年に投手として阪急ブレーブスに入団。現役22年間で歴代2位となる949試合に登板し、金田正一に次ぐこちらも歴代2位の通算350勝を記録しました。19年連続の2ケタ勝利は日本最長記録です。鳥取の砂丘で鍛えたというスタミナと剛速球、そしてフォークボールが売り物で、阪急の5度のリーグ優勝に貢献しました」

 阪急、阪神タイガース、近鉄バファローズと渡り歩いたのち、77年に引退してからは、

「阪神やオリックス、近鉄で散発的にコーチを務めるほか、野球解説者としても活動。78年に発足した〈日本プロ野球名球会〉の創設メンバーでもあり、2000年には野球殿堂入りを果たしていました」(同)

帝国ホテルに自腹で宿泊

 野球評論家の江本孟紀氏が振り返る。

「私が南海ホークスにいた70年代前半、米田さんは阪急の柱でした。私の先輩だった野村克也さんは、いつも“米田のフォークボールが打てない”と嘆いていた。米田さんのフォークは天井から落ちてくるような高低差があって、大打者の野村さんですら打てないのもうなずけましたね」

 江本氏は、米田氏から聞いた話が印象に残っていると言う。

「阪急が東京に遠征するとき、選手は老朽化した安ホテルに宿泊することになっていました。ところが、米田さんは“俺は先発登板の前日、自腹を切って帝国ホテルに泊まって、うまいビーフステーキを食う”と言っていました。高額な年俸をもらっていた大選手は本当にすごいなと感心させられましたね」

 最盛期である69年の年俸は1500万円。同年、球界の最高額だった長嶋茂雄の3200万円に比べると見劣りするとはいえ、当時の大卒初任給は約3万円だというから、破格にはちがいない。

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