昭和の阪神ファンは怖すぎた…巨人との優勝決定戦に敗れ3000人が甲子園に乱入! 逃げ遅れた王選手は殴り倒され、球場周辺は“無法地帯”に

スポーツ 野球

  • ブックマーク

 昭和から平成にかけて試合中や試合後に多数のファンが暴徒と化して起こした事件を紹介する特別企画。第3回は1973年10月22日の阪神vs巨人の試合後に起きた阪神ファンの“巨人ベンチ殴り込み”事件をプレイバックする。【久保田龍雄/ライター】

(全5回の第3回)

 ***

阪神と巨人が0.5ゲーム差で「優勝決定戦」へ

 1973年のセ・リーグは、9連覇をかけた巨人と9年ぶりVを狙う阪神がシーズン終盤になっても激しいつばぜり合いを演じ、栄冠の行方は最後の最後までわからなかった。

 そんな史上まれにみる大激戦のなか、阪神は10月15日の広島戦でエース・江夏豊が力投し、4対1で勝利。この日試合のなかった巨人に0.5ゲーム差をつけ、首位に躍り出た。

 一方、巨人は、長嶋茂雄が右手薬指骨折で戦線離脱したことも響き、翌16日、ヤクルトに2対4で敗れた。この結果、巨人の自力Vが消え、阪神にマジック1が点灯。阪神は残り2試合で1勝、または引き分けでも優勝となった。

 だが、勝てば優勝が決まる10月20日の中日球場での中日戦、阪神・金田正泰監督は、同年8勝1敗と“中日キラー”だった上田二朗を温存し、前年から中日球場で0勝3敗と相性の悪い江夏を先発させた。

 中日側も「えっ、上田じゃないの?」と思わずビックリした投手起用は裏目に出る。江夏は6回3失点で降板し、阪神は2対4と痛い敗戦。0.5ゲーム差の2位・巨人と本拠地・甲子園で最終決戦を行うことになった。

 この日、新幹線で大阪に移動中の巨人ナインは、ちょうど名古屋に着いたところで阪神の敗戦を知った。

 当時のメンバーの一人、柳田真宏氏は回想する。「あのときは、もう(優勝を)あきらめていた。まな板の上の鯉どころか、ポイと地面に捨てられて、水も与えられず、死ぬのを待つばかりの状態。最終戦を前に新幹線で大阪に移動した日は、阪神が勝つだろうと思っていた。そしたら、新聞記者の人が『負けてます』って知らせてくれて、名古屋に着いたら、本当に負けている。『よしっ!これで最終戦は勝った!』って(みんな)一気に盛り上がったね。水を与えられず、死ぬ寸前だった魚が、恵みの雨がザーッと降ってきて生き返ったって感じだった」。

次ページ:あまりにも不甲斐ない戦いぶりに阪神ファンが激高!

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。