「親が無理やりは絶対に長続きしません」…体操五輪代表「田中3きょうだい」の父が語った“子供にスポーツを続けてもらう秘訣”

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体操界史上初の快挙

 新学期が始まり早1カ月、うちの子にもなにかスポーツを……と考えている保護者は多いだろう。健康な生活への近道ではあるものの、気まぐれな子供のやる気に振り回されることも珍しくない。そこで耳を傾けたいのは“大先輩”の体験談だ。

 2012年5月5日、体操のロンドン五輪代表最終選考会を兼ねたNHK杯が終わった。当時、大きな話題を呼んだのは、「田中3きょうだい」の五輪代表入り。きょうだい3人で五輪代表は体操界史上初の快挙だが、代表入りが確実視されていたわけではなかった。たとえば、男子総合の優勝が代表入りラインだった長男・和仁さんは、あん馬でまさかの落下。一時は2位に後退し、最後の鉄棒で逆転している。

 そんな状況もあってか、和仁さん、長女の理恵さん、次男の佑典さんが代表に決まった瞬間、父の章二さんは会場で思わずバンザイして号泣。章二さんと妻の誠子さんはともに元体操選手という体操エリートの田中家だが、3人揃っての代表入りは奇跡である。

 そこで「週刊新潮」は、3人の代表入りが決まった翌日に章二さんのインタビューを敢行。その英才教育ぶりを聞き出そうとしたものの、章二さんが明かした「田中家の秘訣」は、いますぐに真似できそうな部分もある意外な内容だった。

(全2回の第1回:「週刊新潮」2012年5月17日号「3きょうだい揃って五輪『田中家』の家庭内『洞察力訓練』」をもとに再構成しました。文中の肩書き等は掲載当時のものです。文中敬称略)

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怪我をさせないための準備運動に力点

 福岡県で生まれた章二さんは、高校から体操を始めた。当時のライバルで、和歌山県の体操協会副理事長を務める森田氏いわく、「中学から始めた僕らからすれば珍しい。でも、相当努力もして才能もあったんでしょう、高校3年の時にはもうインターハイや国体で活躍してましたよ」。

 章二さんは日大4年で全日本インカレの個人総合7位。卒業後は当時“体操王国”と言われていた和歌山県に誘われ、県職員として競技を続ける。32歳で引退後は県内の高校で体操教師に。同時にジュニア育成に使命を感じ、伸間とともにジュニア向け体操クラブを開設し、多くの子供たちを育ててきた。

「うちのクラブでは章二先生の方針で、とにかく怪我をさせないための準備運動に時間をかけていました。それから実技指導ですから練習が終わるのは夜の11時くらい。章二先生は今でも時々、まったく家庭を顧みず犠牲にした、と奥さんに叱られることがあるみたいですよ」

 そう笑いながら明かすのは、章二さんとともにクラブを立ち上げて子供たちを育て、きょうだいにもコーチをしてきた和歌山県高体連体操部委員長の伊熊博文氏だ。

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