「外国訪問には、雅子さまでなく秋篠宮家を…」 「人格否定発言」から21年 雅子皇后の“キャリアを否定”したのは誰だったのか

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「3人目を希望したい」

 この間、皇太子の発言をめぐって宮内庁では激震が走っていた。「キャリアや人格を否定する動き」とは具体的に何を指すのか。マスコミで、真っ先にやり玉にあがったのが、湯浅利夫宮内庁長官の発言である。

 湯浅長官は元自治省事務次官。その湯浅長官は、前年12月の会見で、秋篠宮ご夫妻について、

「皇室の繁栄を考えると3人目を強く希望したい」

 と語ったが、その発言が雅子妃をいたく傷つけたといわれている。

 だが、宮内庁はやっきとなって否定。5月14日、林田英樹東宮大夫は、皇太子が、

「(現在の)湯浅長官時代のことではないと話している」

 と発表したが、その慌てぶりが、また波紋を呼ぶ有り様だった。

「雅子も、私もとても悩んだ」

 皇太子のご成婚は平成5年である。現長官でなければ、昭和63年から平成8年まで長官を務めた藤森昭一氏(元内閣官房副長官)か、その後を平成13年まで引き継いだ鎌倉節氏(元警視総監)の時代ということになるではないか。

 皇太子は問題の会見で、

「なかなか外国訪問もできなかったということも含めて、雅子も、私もとても悩んだということを一言お伝えしようと思います」

 と語っている。

 外遊を許されなかった一例として、平成11年の「ドイツにおける日本年」をあげる。平成11年1月から平成12年9月までドイツで開催されたその祭典の名誉総裁には、皇太子とラウ独大統領が就任していた。当然、開幕式典には、皇太子ご夫妻が出席するものとみられていた。だが、

「実際には秋篠宮ご夫妻が、開会式のためだけに2泊4日のハードスケジュールで出掛けました。その時期、特に皇太子ご夫妻がお忙しかったので秋篠宮に代役が回ったというわけではありません。行くべき人が行かなかったのであり、皇太子ご夫妻を外国に行かせない意向が働いたのです。皇太子ご夫妻はかなりショックを受けられたのではないでしょうか。秋篠宮のご訪問が内定すると、ご夫妻は、長野にご静養に行かれてしまいました」(先の宮内庁関係者)

 ご成婚当時、国民は、雅子妃の外務省時代のキャリアに期待した。雅子妃自身も、新たな皇室外交の一翼を担うものと、希望を持っていたことだろう。だが、雅子妃のキャリアが生かされる機会はほとんど与えられなかったのである。

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【後編】では、「人格の否定」、すなわちお世継ぎ問題を巡って、雅子皇后が受けたプレッシャーについて詳述している。

デイリー新潮編集部

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