【女性の死刑執行第1号】念入りに化粧をして取調官を誘惑、自ら死化粧をして絞首台へ…毒婦の代名詞「小林カウ」の生き様

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 吉永小百合が初の汚れ役に挑んで話題を呼んだ『天国の駅 HEAVEN STATION』(1984年)。演じた「林葉かよ」は47歳で死刑台に上ったが、そのモデルとなった「小林カウ」の最期は61歳だった。カウのエピソードを紐解くと、かよよりも数段上のしたたかさを持ち、運命に翻弄されるというより自身で渦を巻き起こすようなアグレッシブさが感じられる。従容と絞首台に上ったという“毒婦”の生き様とは。

(「新潮45」2006年10月号特集「昭和&平成 世にも恐ろしい13の『死刑囚』事件簿」より「小林カウ『塩原・ホテル日本閣殺人事件』戦後の女性死刑執行第一号」をもとに再構成しました。文中敬称略)

人目を引くおしゃれな娘

 戦後、女性の死刑執行第1号となった小林カウ(享年61)といえば、“毒婦”の代名詞ともされた女である。

「つかまったということは、事業に失敗したのと同じだと思います」

 取り調べに当たった警察官を前に、彼女はそう言ってのけた。いかにも残忍非道な女の像が浮かぶが、実際のカウは、ポッチャリとした丸顔に愛嬌がある飲み屋の女将風だった。

 取り調べには念入りに化粧して臨み、性的な話には身を乗り出す。そして、机の下の手を取調官の太股に這わせる。百戦錬磨の取調官もこれにはたじたじである。

 明治41年、埼玉県大里郡玉井村(現在の熊谷市)の貧しい農家に生まれたカウは、年頃になるときれいに着飾ることを覚え、人目を引くおしゃれな娘だった。昭和5年、小林秀之助と結婚。秀之助は男振りも悪く、虚弱体質のため肉体的な喜びも得られず、カウは不満だったが、一男一女を授かった。

 秀之助は、戦後、熊谷で自転車のタイヤ卸商となった。一方カウは、熊谷名物の菓子・五家宝作りを始めるが、生来働き者で物欲の強いカウは、働けば働くほど儲かる商売の魅力にのめり込む。そのうち、からし漬けにも手を広げ、行商に精を出して小金を貯め込んだ。

 商売のために自分の体を売ることなど、彼女には朝飯前だった。出入りの闇商人から炭屋、八百屋、果ては電気代まで、カウはビタ一文払わず、代わりに体を差し出した。

アダルトグッズ販売や食堂経営で成功

 昭和26年、彼女は、自宅に戸別調査に訪れた26歳の若い巡査・中村又一郎と関係を持つ。中村によって初めて性のめくるめく快感を味わったカウは、夫に離婚を迫ったが、秀之助は応じず、大ゲンカの真っ最中、秀之助が急死する。27年10月のことである。医師の診断は脳溢血だったが、周囲では、「ありゃ、カウとお巡りのしわざだべ」とうわさになった。

 2人は同棲を始めるが、関係は2年と続かずに終わった。中村が、カウのガメツサに呆れたからである。ある晩、酒を飲み過ぎて吐いた中村は、翌朝、カウの作った朝食を見て仰天する。自分の吐瀉物を洗っておじやにしていたのだ。「臭い」と中村が顔を背けると、カウはそれをペロリと平らげた。

 中村と別れた後、カウは今まで以上に商売に打ち込み、昭和31年、栃木県の塩原温泉で土産物店、「那珂屋」を開いた。すでに48歳になっていたカウだが、色っぽいと評判で、自らセクシーな写真やアダルトグッズを売り歩いた。「那珂屋」に続いて、「風味屋」という食堂を開店。これも成功させたカウは、温泉旅館の経営を夢見るようになる。

 昭和33年秋、彼女は、生方鎌輔(52歳)の経営する旅館「日本閣」が売りに出されているという噂を聞きつけた。「日本閣」は、温泉を引き湯する権利も持たない三流の旅館だったが、旅館経営を目論むカウには十分魅力的だった。

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