北京五輪“痛恨の落球”を悔やむ「GG佐藤」に「お前は勝利者だ」…恩師「ノムさん」の深すぎる言葉で「エラーがあってよかったな」と思えるようになるまで

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お前は勝利者だ

 そのように話す佐藤氏の心の傷が完全に癒えたのは、北京五輪から12年が過ぎた2020年のこと。佐藤氏が中学時代に在籍していた港東ムースで縁のあった、野村克也氏の一言だった。

 野村氏が亡くなる直前の2020年に、テレビ番組の収録で恩師との再会を果たした佐藤氏は、「北京五輪で記憶に残っているのは、星野(仙一)監督とお前だけだ。人の記憶に残ることがどれだけ大変で素晴らしいことがわかるか? お前は勝利者だ。その経験を活かして生きていきなさい」と野村氏に声をかけられ、励まされたという。

 野村氏はその後まもなくして84年の生涯に幕を下ろしたが、「野村さんの言葉をきっかけに目の前にある事実は1つでも解釈の仕方は無数にあり、それらは自分で選ぶことができることに気づかされて、自分の考え方が180度変わりました。だいぶ時間がかかりましたが、今では『エラーがあってよかったな』と心の底から思えるようになりました」と、再び自信を取り戻すことができた恩師の言葉に、感謝の思いを口にする。

人生の価値観が変わったイタリアでの日々

 失意の北京五輪以降も活躍を見せた佐藤氏に、2度目の試練が訪れたのは、2011年秋のことだった。2010年には極度の不振で夏場に2軍降格を言い渡されると、9月には両肘と左肩のクリーニング手術も経験。再起を目指した2011年は、一度も一軍昇格を果たせぬまま、その年のオフに埼玉西武ライオンズから自由契約を通告された。

「この時は、五輪の時と同様に身体も心もボロボロで、野球が心の底から嫌いになりました」

 一時はそのまま現役を引退し、別の道に進むことも考えたそうだ。しかし、「これまで長く続けてきた野球を嫌いなままで終えたくなかったので、野球人生の最後はとにかく野球を楽しみながら、自分なりの感謝の思いを伝えられたらと思った」という佐藤氏は、現役続行を決意。

 悩み抜いた末に、イタリアのフォルティチュード・ボローニャとプロ契約を結び、海を渡ることとなった。

「その頃は、イタリア出身で『ちょいワルおやじ』と言われていたパンツェッタ・ジローラモさんが注目を集めていて、僕も憧れていたので興味のある国でしたし、陽気なイタリアで野球を楽しんでいたら再び元気を取り戻せるんじゃないかなと思って、海外挑戦を決めました」

 大きな決断を下して足を踏み入れた異国・イタリアで過ごす日々は、「野球が人生の全てで、野球がうまくいかなければ自分の存在価値はないと思っていた」という佐藤氏にとって、発見の連続だったという。

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