意識不明のまま搬送された病院で目を開け「歌ってくれ」と…「酒と泪と男と女」48歳の若さで旅立った「河島英五」の“歌バカ人生”
病室でギターをひいていっしょに歌った
以後、「時代おくれ」や「野風増」を発表し、いまやカラオケの定番。平成3年には紅白にも出場した。決して派手ではないが、やはり印象に残るのは「飲んで飲んで……」と大声で歌う強烈な無頼派のイメージだ。
「阪神大震災のコンサートでは関西在住のミュージシャン仲間が集合したけど、ライブで汗をかいてどんどん服を脱ぎ始め、豪快そのものでした」(紙ふうせんの後藤悦治郎)
その河島が最初に病に倒れたのは1月27日だった。
「若い頃は酒もタバコもたくさんやったけど、ずいぶん前から肝臓を悪くして控えていました。タバコは15年も吸っていないし、酒も日本酒をコップに1杯程度。でも、年末から風邪を引いて、急に体力が落ちて悪くなったようです」
こう話すのは、次女(前出)の亜奈睦だ。
「ところが東京から駆けつけたら、『看護婦さんたちがペチヤクチャしゃべっとったんやけど、それがおもしろうてな』と言う。それを『がんばろな』という歌にしてしまったのです。死にそうな顔をしながら、何曲も歌をつくっていました。本人は『音楽を聴くと落ち着くねん』というので、病室でギターをひいていっしょに歌いました」
病院に着くと目を開け、「歌ってくれ」と
1カ月半の入院生活で80kg近かった体重は20kgも落ちたが、退院後も歌手活動を再開。
「月に2、3度はライブをこなしていましたが、消化力が落ちていたので吐いたり下痢をしたりしていました。家族としては仕事をやめてほしかったけど、『歌えへんかったら、何のために生きているかわからへん』と言い張るので止められなかったのです」(亜奈睦、以下同)
そして自宅で吐血。意識不明のまま救急車で病院へ運ばれたのが4月15日だった。
「お医者さんは『意識が戻ることはない』と言っていた。だけど、病院に着くと目を開け、『歌ってくれ』と私にいうのです。それで、私の持ちを何曲か歌いました。最後に、『もう1曲歌おうか』と聞くと、『また今度にして』と……。笑いながら、本当に奇麗な顔で逝きました」
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