「自分が障害者だと思ったことはない」 ノーヒットノーランを達成した隻腕投手「ジム・アボット」を育てた父の特訓(小林信也)

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全員バント攻撃

 12歳の時、少年野球の対戦相手が投手アボットに対して全員バント攻撃を仕掛けてきた。アメリカの少年野球もずいぶんえげつないことをすると思うが、それはすでにアボット少年が打ち崩せない投手で、レベルの高さゆえに取られた作戦だったに違いない。まだ守備の練習が不十分だったアボットはそのバント攻勢にやられてしまう。

 それから父と特訓を重ねた。右手に右利き用のグラブを載せて投げ、投げるとすぐ打球に備えて左手にグラブをはめる。打球を捕るとボールを入れたままグラブを外し、左手でボールをつかんで送球する。ずいぶん手間のかかる動作だが、彼はこの“アボット・スイッチ”の精度を高め、通常の投手と遜色ない守備力を身に付けた。中学時代にも9人連続バント攻撃を受けたが、この時は8人をアウトにしたという。MLBでも、アボットの守備率は投手平均を上回っていた。アボットは語っている。

「自分が障害者だと思ったことはない」

 他人から見れば信じられない“アボット・スイッチ”も、彼自身にとっては当たり前の野球技術でしかなかったのかもしれない。

 88年のMLBドラフト会議、1巡目(全体8位)でカリフォルニア・エンゼルスに指名され入団。翌89年には1年目の開幕からローテーション入りした。デビュー戦こそ5回途中6失点で敗戦投手になったが、3試合目に初勝利を挙げ、5月には初完封も記録した。

 この年12勝12敗。MLBでマイナー経験のないルーキーがいきなり活躍し、これだけ勝つのは珍しい。

 翌90年は10勝、91年は18勝、92年は7勝にとどまったが、防御率は2.77で自己最高。投球内容は悪くなかった。そして、ニューヨーク・ヤンキースに移籍した93年にアボットは大きな金字塔を打ち立てた。

ファンレターに返信

 9月4日、本拠地ヤンキー・スタジアムで行われたクリーブランド・インディアンズ戦。アボットは8回までインディアンズ打線を無安打に抑えていた。

 9回の先頭打者ケニー・ロフトンは初球いきなりセーフティーバントを試みた。前年に続きこの年も盗塁王(70個)に輝く快足ロフトンだから、当然の策ではあった。これがファウルになると猛烈なブーイングが起こった。そのロフトンをセカンドゴロに仕留め、続く二人をセンターフライ、ショートゴロに打ち取ってアボットはノーヒットノーランを達成した。アボットは試合後に言った。

「ほかの人間にできることは自分にもできると信じてここまでやってきた。でも、興奮で死にそうだ。自分がノーヒットをするなんて考えたこともなかった」

 ヤンキース移籍が決まるとすぐ、球団事務所に段ボール4箱ものファンレターが届き、球団スタッフを驚かせた。手紙の中には、障害のある子どもからのものも多かった。アボットは必ず返信し、書き添えた。

「誰が何と言おうと自分を卑下するな。ハンディキャップだなどと思わないことだ」

小林信也(こばやしのぶや)
スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部などを経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』『武術に学ぶスポーツ進化論』など著書多数。

週刊新潮 2025年4月24日号掲載

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