寝坊で3軍降格の佐藤龍世はかわいい方? 集合時間に女性と「ベッドイン」、30回以上遅刻した“ツワモノ”も…不適切にもほどがある選手列伝

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酒と女に溺れても試合になればホームラン連発

 管理野球が根づく以前の球界には、もっとスケールの大きい寝坊をやらかした“豪傑”もいた。

 1966年に来日したサンケイアトムズの助っ人、ルー・ジャクソンは、酒や女遊びに溺れ、私生活はメチャクチャ。キャンプ中に部屋でチームメイトと焼き鳥パーティーを開き、翌日の練習に遅刻、飯田徳治監督から「キャンプをなんと心得ておる」と厳しく叱責された。だが、その後も乱れた生活習慣は直らなかった。

「助っ人列伝」(文春文庫ビジュアル版)によれば、ある試合でジャクソンが集合時間になっても現れないので、チーム関係者がアパートに様子を見に行ったところ、部屋中酒の匂いをプンプンさせて、なんと、女性とベッドインの真っ最中。

 その関係者は「ようやくコトが終わってから、彼を引っ張り起こして、そのままの姿でかつぐようにして神宮球場まで連れていったよ」と証言している。

 球場到着後、ロッカールームでいびきをかいて眠ってしまったジャクソンは、試合開始前に起こされ、ユニホームに着替えて出場すると、パカーン、パカーンと本塁打を2本も放ったという。

 試合の日付は明らかにされていないが、ジャクソンは来日1年目の9月14日に神宮の阪神戦で、村山実から13号、14号の2発を放っている。おそらく、この試合と思われる。酒の酔いも抜けきらない最悪の体調にもかかわらず、球界を代表する大エースから2本塁打を放ってチームの勝利に貢献するのだから、漫画「あぶさん」も顔負けの強者と言えるだろう。

 ジャクソンは、67年に打率.296、28本塁打、79打点、13盗塁を記録するなど、走好守三拍子揃った好選手だったが、口にするのは肉類とビールだけという極端な偏食や荒れた生活が祟り、69年3月26日のオープン戦の試合後に胃痛を訴えて緊急入院。すい臓がんを患っていたようで、手術の甲斐なく、5月27日にすい臓壊死で死去した。まだ33歳の若さだった。

どうしても起きられず「目覚まし時計12個セット」の“伝説”

 寝坊、遅刻の常習犯といえば、阪神の外野手・亀山努を思い出すファンも多いはずだ。

 1988年にドラフト外で入団した亀山は、一塁への果敢なヘッドスライディングで人気者になり、92年に新庄剛志とともに“亀新フィーバー”を巻き起こした。

 だが、翌93年6月にダイビングキャッチの際に右肩を脱臼、95年の開幕直後にも、守備中に一塁手のグレンと激突し、腰椎を骨折するなど相次ぐ故障に泣いた。

 翌96年も両足アキレス腱を痛め、開幕を2軍で迎えたが、その後、2軍での30回以上の遅刻が問題になり、6月に自宅謹慎を命じられてしまう。

 実は、亀山は眠っているときに、呼吸がしにくくなる睡眠時無呼吸症候群に悩まされていた。このため、満足に睡眠をとることができず、音の大きい順から12個の目覚まし時計をセットしても起きられなかったという話も伝わっている。

 ただし、この話は、目覚まし時計10個を使っているという噂を耳にしたトラ番記者に「10個って本当?」と尋ねられた際に、マスコミへのサービス精神から「違う、12個や」と話を盛ったのが真相らしい。

 97年1月に鼻の通りをよくする手術を受けたが、それでも遅刻を防ぐことはできなかった。

 巨人時代の松井秀喜も遅刻にまつわるエピソードが多かったが、たまに電車に乗り遅れることはあっても、練習や試合に影響を及ぼすことはなかったといわれる。

 野球選手に限らず、時間を守ることはビジネスの基本。時間ギリギリではなく、巨人の“10分前ルール”のように、遅くとも集合時間の10分前には到着しているように心掛けたい。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新著作は『死闘!激突!東都大学野球』(ビジネス社)。

デイリー新潮編集部

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