「画家が絵を描いているというのは錯覚で、絵の運命に画家が操られているのかも…」 横尾忠則が“人生最後のような”個展について語る
人生最後とはいいたくないが、まあそのような個展が4月26日から世田谷美術館で開催されます。80代最後の美術館での個展です。
展覧会名は「連画の河」です。この題名は「連歌」からのパクリです。連歌とは和歌の上(かみ)の句と下(しも)の句を数人でよみ連ねてゆくものですが、僕の絵の場合は先ず一点描きます。この描いた絵からイメージを連想して、次の二点目を描きます。このようにして、三点目、四点目と続けて、とうとう60点描きました。複数の人間が次々と尻取り式に歌を増やすように、ひとりの画家が、自分の絵を尻取りのように連ねていきます。歌ではなく絵なので「連画」と呼ぶことにしたのです。
僕は観念(アイデア)で描くタイプの画家ではないので、計画的に連作を描くというようなことには興味がなく、気分を優先するタイプの画家なので、その時、思いついたものを描きます。そんなわけで、計画的に制作を進めていくことには興味がないのです。計画とは一種のもくろみですが、そのような観念的な行為にはあまり興味がないので、いつも出たとこ勝負です。この行為は僕の生き方そのものでもあります。偶然とか、他力とか、まあ運命にまかせた生き方を描き方に置きかえているというわけです。
今回の「連画の河」の先ず第一作目は、昨年、10年振りに郷里に帰った時、クラスメイト10人ばかりで会ったのですが、郷里の西脇の加古川と杉原川の二つの河が合流する所に鉄橋が架っていて、その鉄橋を背景にクラスメイト達と記念写真を撮りました。それと同じように、55年前の1970年にも西脇でクラスメイト達と写真を撮っていて、その記念写真を絵にした「記憶の鎮魂歌」と題する1994年作の絵を次々と連画していったのが今回の展覧会の「連画の河」の出発点になったというわけです。先ず、この最初の一点がなければ今回の「連画の河」展は成立しませんでした。
まあ、じっくり観ていただければ、すぐこの連画の意図が理解していただけると思いますが、点数が増えるに従がって最初の鉄橋の下に並んだクラスメイトは数点後にはバラバラに散ったり、新しいキャラクターに変貌して、自由勝手、気儘に行動を始めます。
このことは描いている僕自身がびっくりしているのです。絵の中のモデルであるクラスメイトは自由行動を起こした後に思い思いのキャラクターを発揮し始めます。最終的には画家の僕でさえ収拾がつかなくなってしまいました。もう彼等を束縛はできません。解き放たれた彼等は自由気儘に天空を駆け巡り始めてしまい、画家の僕もついていくのがやっとです。
この展覧会は一点一点が完結していると同時に、先きの一点と、次の一点が連鎖していくので、一点で完結しているのではないのです。60点全作で一点です。一種の時間芸術というか、移り変る時間そのものがこの連作の主題ということになるのかも知れませんね。
僕にとっては、シナリオのない推理小説を書いているようなものでした。しかも60点で完結したわけではない、完全な未完です。未完であることによってこの「事件」は完全犯罪として成立しました。
従がってですね。この「連画の河」は僕が描いた絵ではなく、絵によって描かされた自分であるということです。絵が画家に絵の想いを伝えて、画家が、その想いに憑依されて描かされたというわけです。やや大袈裟に言うと絵の運命に作者の画家が操つられたというわけです。
画家が絵を描いているというのは、もしかしたら錯覚かも知れません。少なくとも今回の僕の「連画の河」は、正にそういうものでした。この絵の出発点は、先きにも言ったように二つの河が合流して一本の大河になることです。ちょっと余談になりますが、これは僕が過去に「Y字路」シリーズで描いた三叉路そのものであるというのも、僕にとっては、運命的なものを感じます。
「連画の河」という題名は実は美術記者の大西若人さんが「連歌というより連画ですね」と言ってくれた言葉をそのまま展覧会名に頂いたというわけです。河の流れの傍に集まってくれた同級生ですが、人生そのものが河の流れです。この連作を通じて作品の根底には水が流れています。各作品になんらかの形で水が流れています。
僕の一連の滝シリーズの作品は正に水です。ひとつの小さい流れが滝となって落下し、そしてその水は大河の流れを形成していきます。また、水そのものは形がありませんが、その代り如何なる形にもなります。つまり形にはまっていないのが水です。
僕も常に形にはまらない絵を求めています。それは変化です。変化こそ宇宙です。宇宙は形に固定していません。常に水のように変化の連続です。人間も芸術もそうあるべきではないでしょうか。