「生まれたのが男の子だと分かると失神」「家計を支えるために女優業に復帰」 “梨園の妻”として音羽屋を支え続けた「富司純子」傘寿目前の万感
祝う会には1500人のゲストが
歌舞伎界で二本の若桜が満開に。今年5月、五代目尾上菊之助(47)が八代目尾上菊五郎を、長男の七代目尾上丑之助(11)が六代目尾上菊之助を襲名。先月31日、東京・神田明神で「襲名披露のお練り」が行われ、夜には都内のホテルで「襲名を祝う会」が開催された。
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歌舞伎関係者が解説する。
「祝う会は盛大で、ホテルで最も広い宴会場が会場でした。ゲストに高円宮妃久子さま(71)をはじめ、小泉純一郎元首相(83)、松本幸四郎(52)、尾上松緑(50)、俳優の長谷川博己(48)ら1500人が顔をそろえました」
高度経済成長期が終盤を迎えた昭和48年には、同じホテルで父の七代目菊五郎(82)が襲名祝いの会を催した。当時の参加者は1200人ほどだったという。
その七代目は、昨年5月に息子が八代目を襲名すると発表された際、「七代目をまっとうする」と明言。今後は400年以上の歴史を誇る歌舞伎の世界で、初めて二人の〈尾上菊五郎〉が舞台に立つことになる。
「八代目は七代目と共に壇上に現れ“懸命に精進し、歌舞伎の魅力を世界にお伝えしていきたい”とあいさつした。母で女優の富司純子(79)は、娘の女優・寺島しのぶ(52)と共に、感慨深げに見守っていました」
押しも押されもせぬ看板女優
富司はデビューから9年後の27歳の時、当時は四代目尾上菊之助を名乗っていた七代目と結婚。芸能界から引退した。
「芸名は〈藤純子〉で、映画やテレビドラマで活躍していました。父親は東映の辣腕(らつわん)プロデューサーとして名をはせた俊藤浩滋です。彼が手がけた映画『緋牡丹博徒』『日本女侠伝』などの人気シリーズはいずれも大当たり。富司はそれらに主演する、押しも押されもせぬ看板女優でした」
なれ初めはNHK大河ドラマ。富司は昭和41年放送の「源義経」で、七代目が演じた主役・義経の側室である静御前役だった。
「当時はボウリングが流行中で、二人は撮影の合間を見ては楽しんだとか。交際は順調に進み、放送終了の頃には結婚を決めていたそうです。ただ、富司は東映の稼ぎ頭だけに、父の俊藤から“3年待ってくれ”と懇願された。入籍は知り合ってから6年後の昭和47年3月でしたね」
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