朝起きたら「おかあさんがいない」 妻が5年間の失踪、47歳夫が後悔し続ける「笑顔」への誤解
さらに1年後…
それから1年後、警察から連絡があった。文菜さんがとある病院に入院しているという。そこは彼が例の女将と会っていた土地だった。「嘘だろ」と思わずつぶやいたと彼は言う。
「あわてて飛んで行ったら、確かに文菜が入院していました。ただ、僕の顔を見てもほとんど反応がなかった。どうやら記憶をなくしているようだと」
とにかく転院させたいと伝えた。これからあちこち検査をするというので、その日は病院を辞した。なじみのある土地を歩きながら、いつしか足はあの店に向いていた。ところがあるはずの店はなくなっていた。思わず携帯で電話をかけようとしたが、あの最初で最後の旅行の帰り、家に着くまでの間に彼は女将の携帯番号を削除したのを思い出した。
地元の警察に行って、妻がどういう状況で見つかったのかを聞いたが、朝早く路上で倒れているところを近所の人が見つけてくれたということ以外、なにもわからなかった。
その後、文菜さんは寿明さんの自宅から1時間ほどの病院に移ることになったのだが、転院前日、突然、脳出血を起こした。
「息子と娘にはあとで話をしようと思って、まだ母親が見つかったことは言わなかったんです。僕だけ病院に行って、妻を病院の車で運んでもらうことになっていた。だけど前日夜、現地に着いたら、妻が脳出血だと連絡があって」
そして妻は寿明さんの到着を待たずに息を引き取った。いったい、なにがあったのか、行方がわからない間、妻がどこでどうしていたのかを聞く機会は永遠になくなってしまった。
妻が亡くなってから1年強の日々が流れたが、寿明さんの脳裏には物言わぬ妻の白い顔が焼きついている。
そもそも今になってみると、あの晩、妻の笑顔をなぜ偽りだと決めつけてしまったのか。それは彼自身が女将と別れたやるせなさからの思い込みではなかったのだろうか。彼自身、妻が出ていった前の晩のことは整理がつかないままだ。
「子どもたちにはずっと言えないままでした。今年から息子は大学生です。彼の高校の卒業式の日、母親が亡くなったことを話しました。実はお骨はまだ家にあります。息子と娘は僕の話をじっと聞いていた。これからはふたりの心のケアをしないと。僕自身もカウンセリングにかかり始めました。このままだとこの先、生きていけない気がして……」
“本当のこと”を知る術がないから心は不安定になる。表層的な事実を受け止めるだけでも相当な覚悟がいりそうだ。
「妻がいなくなってからずっと、子どもたちのためだけに生きてきました。今後もそうしていくつもりです。僕が助けると文菜に言ったのに、あの言葉を守れなかった」
この2年で7キロ痩せたと彼は力なく笑う。それでも人は生きていかなければならないですからと、最後にようやく少しだけ力強い言葉を残した。
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寿明さんが後悔を口にする「僕が助ける」という言葉は、かつて悲しみに暮れる文菜さんに彼が送った言葉だった。【記事前編】で詳しく紹介している。
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