師匠北島三郎に出会って開けた歌手への道 40年以上を経て独立 新たな思いを込めて歌う「原田悠里」
二葉百合子会の“悠里姉”に
「木曾路の女」がロングヒットを記録していた頃、「岸壁の母」の大ヒットで知られる二葉百合子のもとに勉強のため、通った時期がある。
「クラシック出身のため、地声が出せない、こぶしが回せない、譜面割りにとらわれる、という演歌を歌う者にとっては致命傷ともいえる感覚がまだ自分の中にあったんです。ならば同じキングレコードの二葉先生に通い浪曲の勉強をさせてもらったらどうか、と」
自身にとってはものすごくプラスとなり、その後の演歌歌手としての自信も生まれた。後に一度は引退を考え、芸能活動を休止していた坂本冬美が、やはり二葉の「岸壁の母」に感銘を受け、二葉に弟子入り。そこでかつて原田が二葉の下に通っていたことを知り、「悠里さんも一緒にやりましょう」と呼びかけたという。その後、藤あや子や島津亜矢ら二葉に教えを乞うた歌手も加わり「二葉組」が結成され、原田は「悠里姉」と呼ばれているという。
北島音楽事務所から独立 シングルにかける思い
40年以上も所属した北島音楽事務所が、北島以外のマネジメントから撤退することに伴い、2023年4月、独立した。独立後の11月に出したシングル「中山道」に続き、2024年12月に「春待酒」を発売した。
「今は本当に厳しい時代で、新曲1枚出すのも大変。シングルを出すことに覚悟も必要です。独立から最初の1年は何が何だか分からずに過ぎて、今頃になってたくさんの方に屋根になり後ろ盾になってもらっていたと感じました。お仕事を1本いただけることの重みを強く感じます。その意味では今度の作品からが本当の意味での独り歩きです」
「春待酒」は幾星霜を重ねた夫婦が歩んできた道を振り返る歌で、自身が歩んできた40年以上の歌手人生と重ねながら実感を込めて歌う。カップリングの「ノクターン~黎明~」は、クラシックでの経験を貴重なことと捉えられるようになった思いをショパンの「ノクターン」の調べに託し、自らの「マイウェイ」的な曲として歌う。
「新曲の歌詞にも『木漏れ陽』と出てきますが、私の人生にも木漏れ陽が射した瞬間があったのに、大して感謝をしてこなかった。これからは一日一日を大切に思って、自分を進化、新化させることを心掛けるのが、私が歌っていく意義なのかなと。私の大学時代の恩師である有馬万里代先生は『ノクターン』について『これは徹頭徹尾あなたの歌よ。自信を持って歌いなさい』とおっしゃってくださいました」
シングルと同時に発売されたアルバム「遥かなる路」を含め、40年以上の歌手人生を踏まえながら、新たな道を一歩一歩進み始めた。
***
第1回【“歌手になりたい”夢を抱きつつ、上京して教師に…「原田悠里」の演歌歌手人生】では、演歌歌手を目指して上京しながらも、紆余曲折でデビューまでを遠回りした軌跡について語っている。