「ザキヤマはめちゃくちゃまじめでした(笑)」 「サンミュージック社長」が養成スクール講師時代に衝撃を受けた“2人の生徒”とは?

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「鈴木はあかん!」周囲はコンビ結成に大反対

「塚地も前の方で真剣に授業を聞いてるタイプでした。で、“あー”“うんうん”とうなずいてるんですね。講義内容と頭の中のお笑いデータを合致させて、“あれや!”“なるほど”と楽しんでる感じです。本当にお笑いが好きなんやと伝わって来ました。授業中に前に出して即興でネタをやらしてもちゃんと出来ますし、スクール時代からお笑いの引き出しをいっぱい持っていて、本当に優秀な生徒でした」

“出来る生徒”として、塚地は事務所にも将来を嘱望されていた。ところが、あることで事務所社長や岡社長らを大いに困惑させることになる。

「玉川社長、ブッチャーブラザーズ、事務所の主要メンバーで面談した時の話です。面談ではこの先どのように活動したいかを聞き、アドバイスやサポートをしていました。期待の新人ですから、自ずと力も入りますよね。塚地を呼んで今後のビジョンを聞いたら、“鈴木拓とコンビを組みたい”と。それを聞いた僕らはみんな倒れそうになりながら“それはあかん!”と大反対しました。僕らの当時の鈴木への認識は“向上心は特に見えず、1年が終わっても進歩はない”といったもの。僕らは他の人と組んだ方がええんとちゃうかと促したのですが、塚地は“彼がパートナーなら僕が思い描くことができます。やらせて下さい!”と頑として譲らなかった。塚地には“成功”が見えていたんでしょうね。あの決断を塚地は今、自分でどう評価しているのか、一度聞いてみたいですね」

 実際に塚地と鈴木のコンビは人気になった。鈴木は“クズキャラ”の時期を経て、釣りや格闘技に活路を見つけている。

後編【「カンニング竹山」“キレ芸”誕生のウラに大御所“毒舌タレント”…「サンミュージック社長」が明かす“クビ寸前”からの大ブレイク秘話】に続く

華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。

デイリー新潮編集部

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