「糖尿病なのにジンロを27本」「ホステス、男性スタッフ全員に1万円を配り…」 曙太郎さんの豪快過ぎるエピソード

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ジンロの瓶を27本空け…

 大相撲の第64代横綱で総合格闘家やプロレスラーとしても活躍した曙太郎さんが今月上旬、心不全のため54歳の若さで死去した。およそ7年間もの長きにわたった入院生活や、元気だった頃の豪快すぎる人柄について、かつてのパートナーたちに話を聞いた。【前後編の後編】

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 曙さんのビジネスパートナーとして、かつて飲食店「曙ステーキ」を共同経営していた実業家の二瓶一将氏(58)は、彼の豪放磊落(らいらく)さをこう振り返る。

「曙はとにかく飲む。糖尿病を患いインスリン注射を打っていましたが、それでも飲んでいた。ジンロの瓶を27本空けて上機嫌になり、20人くらいはいたホステスさん一人ひとりに1万円札を手渡したこともありました。しまいには“男たちも並べ”と言い出し、系列の別店舗から駆け付けたスタッフも含めた総勢30名ほどに、また1万円札を配っていったのです」

 サービス精神の塊だった彼は、経営するステーキ店にやって来た見ず知らずの客にまで“チップ”を配ることもあったそうだ。

「よく“カネは天下の回りものだ”と言っていました。ハワイ生まれでしたが、心は生粋の江戸っ子だったというわけです」(同)

ベッドの上でも“またK-1のリングに上がりたい”

 力士としての現役引退は2001年。日本国籍を取得しており、東関部屋の部屋付き親方となったが、03年に相撲協会を辞めて格闘家に転身した。同年大みそかにはK-1のリングでボブ・サップ氏(50)と対戦。2分58秒の失神KO負けだったが、テレビ中継は43%の瞬間最高視聴率を記録し、NHK紅白歌合戦を超える歴史的快挙を達成した。

「総合格闘家としての曙は強くなく、4戦全敗でした。05年から参戦したプロレスでも、タトゥーの入った巨体でコミカルな役を演じて“元横綱の名を汚した”などと批判を浴びましたが、本人はどこ吹く風で自由を満喫していたようです」(スポーツ紙記者)

 プロレスで曙さんとコンビ「SMOP]を組んでいたタッグパートナーの浜亮太氏(44)によれば、曙さんは晩年、入院していても気持ちは前向きだったそうで、

「車イスに乗ったまま“俺は飲みに行く”と、病院を脱走しようと試みたことが何度かあったみたいです。ベッドの上でも巨大なオムツをはきながら“またK-1のリングに上がりたい”“プロレスの団体を立ち上げたい”と、夢ばかりを語っていました。大先輩でしたが、最後までやんちゃな少年だったと思います」

 今月14日に執り行われた葬儀では、クリスティーン夫人(52)やすでに成人している3人の子どもたち、約300名もの関係者が見送った。“明るく送り出してほしい”という故人の遺言のもと、斎場には陽気なハワイアンミュージックが流されたようだが、その場にいた誰もが悲しみに暮れたのは間違いないだろう。

 前編では、妻のクリスティーンさんが明かした曙さんの最期や、お金がない時代でも後輩を助けていたという優しい素顔を紹介している。

週刊新潮 2024年4月25日号掲載

ワイド特集「“事件”は舞台裏で起きている」より

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