ピート・ハミルからの思いがけない手紙――「痛みを与えてしまったことを謝りたい」

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思いがけない手紙

 そして8月のある日、いつものように仕事から帰ってアパートの入口にあるメールボックスを開けると、見慣れない茶色の封筒が届いていた。ピートからの手紙だった。

 西71丁目のわたしの住所を記した力強くて滑らかなあの手書き文字。封筒のなかには、デイリー・ニューズのレターヘッドにタイプした一枚の手紙が入っていた。

〈この数カ月、この手紙を何十回も書こうとしたが、いいたいことがうまく出てこなかった。いま、ここで再びやってみる〉

 書き出しはこう始まる。

〈君のもとから消えたのは、君のせいではなかったことを伝えたい。すべてぼくがやったことだった〉

 自分は恐れたのだ、と彼は続けた。君が必要としているもの、君に値するものを与えられないことを。彼はほとんどロングアイランドの自宅にいて、わたしはニューヨーク市内で多くの時間を費やす仕事に囚われてしまっていた。もし、ふたりでもっと真剣にやってみたらどうだったかと考えるが、君をもっと傷つけることになったかもしれないと書いている。

〈君が無事であることを願う。痛みを与えてしまったことを謝りたい。キーウエストに冬を過ごす家を借りたところだ。チェルシーの部屋はもう引き払ってしまった。精力的に書いているよ。小説の280ページはもう終わった。この数週間、ジャーナリズムの仕事をたくさんこなした。かかった時間は長くて大変だったが、気分は良い〉

「そう、わたしはとても傷ついたのです」

 彼はある女性と一緒に住んでいると書いてきた。彼女は良い人だけど、これは失敗だったとあり、この関係から抜け出すところだという。

 もし、わたしがまだニューヨークにいるのならとても会いたい、と締めくくっていた。ランチでもディナーでも良いから場所と時間を指定してくれれば駆けつける、というのだ。

〈君はこれまでに会ったもっとも素晴らしい女性のひとりだ。それがわかっていたのに、あんなことをしたのはとても愚かしいことだった〉

 何度も何度も、読み返した。

 わたしは冷静であろうとした。ひょっとして悪魔の誘いかもしれない、とも考えた。また同じことの繰り返しになるのではないかとも思った。もう一度、傷つくことは恐ろしかった。それでも、会ってゆっくり話して真実を知りたいと思った。彼はなぜ、わたしから離れたのか。

 返事を書くのにしばらくかかった。考えた末、この冬に起こったことは痛みを伴う経験でした、と記した。

〈そう、わたしはとても傷ついたのです。でも幸運なことに回復し、まだニューズウィークで働いています〉

 西44丁目のアルゴンキン・ホテル。日にちは9月4日、夜6時半に会いましょうと記して返事を投函した。

ぎこちない「アイム・ソーリー」

 その日、オフィスからアルゴンキン・ホテルまでゆっくり歩いて行った。まだ夏の日差しが強く、じっとり汗をかくようだった。どれほど心臓が止まりそうだったか、と日記にある。彼が来ていなかったらどうしようと考え、引き返したいほどの気分だった。

 ホテルのドアを開けると、そこにピートがいた。紫色に近いブルーの綿シャツに白いコットンパンツというリラックスしたスタイル。わたしはスーツを着ていた。

 6番街でタクシーを拾い、ブロードウエイを真っ直ぐ北へ上がり、ミュージアム・カフェで軽い食事をした。相変わらずよくタバコを吸って、小説の原稿をさらに100ページ書き進めたこと、この先メキシコに住むか、ひょっとしたら日本に住むのも良いかもしれないと元気に話す。

 わたしは何もかも変わらなかったように振る舞ったが、自分があれほど恋い慕い、思い焦がれたのは本当にこの人だったのか、と実に複雑な思いがした。

 食事が終わると、ソックスを買いたいというので、ブロードウエイの店に入った。映画をみようと言い出したので、今晩は話がしたいと伝えた。

 わたしのアパートへ来てようやく口を開くと、「アイム・ソーリー」を繰り返す。今一緒に住んでいる女性というのはわたしがニューヨークへ来る前からつきあっていた人で、5月から自分のアパートに住めなくなって、ピートの家に転がり込んできたというのだった。どうやって説明したら良いか……とさんざんいっていたが、上の娘がメキシコへ行ったり下の娘が入院したりと、いろいろあったらしい。

「次に離れることがあったら、必ず、そういってくださいね」

 わたしはピートに約束させた。

ありのままの自分で良いと思えるように

 こうしてわたしたちは、また付き合うことになったが、元通りになるところとならないところがあった。ピートはいつになってもあのままであり続けるのだろう。いつも精力的に仕事をして、娘を心配し、旅に出かけるプレイボーイというのがわたしの本音。

 しかし、わたし自身が変わったという気がした。ピートに頼り切っていた頃の自分とは違ってきていた。ありのままの自分で良いと思えるようになっていた。開き直ったというのだろうか。

 英語での生活に慣れたことも大きかった。わからないことがあれば、今は聞き返すことができる。思ったことをそのままいえるようにもなった。おそらく自分の仕事に対して自信をもてるようになってきたのだろう。とても大変な6、7カ月だったが、無駄ではなかったということか。
 
 それから時々、彼から電話がかかってくるようになったが、あまり頻繁に連絡を取り合うということはなかった。

 翌1986年、ニューズウィーク日本版がようやく創刊に漕ぎ着けたので、わたしは忙殺されるようになった。

 夏が近づいて少し落ち着いてきた頃、突然ピートが連絡してきた。ニューオリンズにいるので遊びに来ないか。友達から又借り(サブレット)したというフレンチ・クオーターの古くて大きなアパートを訪ねると、彼は本の執筆に励んでいた。ほんの5日間だったが一緒に過ごした。以前のふたりに戻ったような感じだった。

(第6回に続く)

『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。

青木冨貴子(アオキ・フキコ)
1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。

デイリー新潮編集部

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