阿部慎之助にサヨナラ満塁本塁打を、古田敦也監督は激怒…元ヤクルト捕手が語る、初めてプロの厳しさを知った瞬間

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古田からの叱責で、真のプロ野球選手に

 結論から言おう。この打席で阿部はサヨナラ満塁ホームランを放ち、スワローズはあと一歩のところで勝利を逃してしまった。試合後、川本は古田に呼ばれた。

「満塁の場面で、阿部さんのカウントが3ボール1ストライクとなりました。もう1球ボールを投げれば押し出しでサヨナラ負けです。そこで僕はストレートを要求しました。もちろん、阿部さんもストレート狙いだとわかっていました。それでも、相手も打ち損じるかもしれないし、“押し出しよりはいいだろう”と腹を括ってストレートを要求したんです」

 そして、古田は次のように続けたという。

「あの場面、ストレート以外で打ち取れる可能性は本当になかったのか? ボールになるのが怖かったのはわかる。だけど、それじゃあダメなんだ。ホームランを打たれたら4点入る。押し出しなら1点だ。いずれにしても、負けは負けだ。でも、1点ならばピッチャーの自責点は最小限で済むけど、4点取られれば防御率も大きく悪化する。その印象の違いでピッチャーは二軍落ちを言い渡されるかもしれない。それによって給料も下がるかもしれない。お前は、そこまで考えたのか?」

 この時の古田の言葉を、改めて川本が振り返る。

「深い言葉でした。僕は、そこまで考えてリードをしていませんでした。だから、“もしも押し出しだとしてもいいんですか?”と尋ねたら、古田さんは“いい”と断言しました。同時に、“この人は結果でモノを言わない人なんだ”と再認識しました。この言葉があったから、僕は気持ちを引き締め直して、その後のプロ野球人生を何とか送ることができたのだと思います」

 このときこそ、川本が真のプロ野球選手となれた瞬間だったのかもしれない。

「古田さんからは多くのことを教わりました。“裏をかくなら序盤にして、終盤には冒険をするな”と言われたこともよく覚えています。たとえ抑えることができても、そこに根拠がなければ叱られたこともあります。プロ3年目に、古田さんから直接いろいろな指導を受けたことが、その後の僕の財産となりました」

 順調に選手人生を歩んでいると思えた。しかし、その後はさまざまな故障に苦しめられ、川本は苦難の道を歩んでいくことになる――。

(文中敬称略・後編【プロ野球選手からアパホテル営業マンへ転身…元ヤクルト・川本良平さんが明かす「異例の名刺」と「ドライヤー」の秘密】に続く)

長谷川 晶一
1970年5月13日生まれ。早稲田大学商学部卒。出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターに。05年よりプロ野球12球団すべてのファンクラブに入会し続ける、世界でただひとりの「12球団ファンクラブ評論家(R)」。著書に『いつも、気づけば神宮に東京ヤクルトスワローズ「9つの系譜」』(集英社)、『詰むや、詰まざるや 森・西武 vs 野村・ヤクルトの2年間』(双葉文庫)、『基本は、真っ直ぐ――石川雅規42歳の肖像』(ベースボール・マガジン社)ほか多数。

デイリー新潮編集部

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