【光る君へ】脱衣シーンで話題、「藤原公任」が1億5000万円の男と呼ばれているワケ

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公任が書写した「古今和歌集」

 さて、かように大河ドラマでも話題のインテリ貴族だが、「藤原公任は、いまから約30年前、神保町・古書店街を騒然とさせた男なのです」と教えてくれるのは、初老の古書マニア氏である。

「1992年に、『古今和歌集』写本が神保町の古書店から売りに出されました。『古今和歌集』の写本といえば、東京国立博物館が所蔵している、国宝の“元永本”が最古とされています。平安時代末の元永3(1120)年に藤原定実が書写したとされる完本です」

 ところがこのとき神保町に出現した写本は、レベルがちがった。

「なんと藤原公任の書写だというのです。彼の生没年は966~1041年ですから、本物だとすれば、東博の国宝“元永本”より古いことになる。序文に欠落があるものの、本文はほぼ完本で、美麗にして墨跡も見事。そんな逸品が、神保町の古書店から売り出されたのですから、世間が驚いたのも無理ありませんでした」(古書マニア)

 売り出したのは、玉英堂書店。1902(明治35)年開業の、日本を代表する老舗古書店である。

〈平成四年五月十日のお昼すぎ、一本の電話が鳴りました。「古今和歌集の写本があるのですが、見て頂けませんか」。〉

 当時の三代目社長、斎藤孝夫氏(1942~2014)は、こう書いている(高橋輝次編『古本屋の本棚』より、燃焼社刊、1997年)。

 3日後、〈品の良い初老のご夫婦がお店にお見えになりました〉(同書より。以下同)。アメリカ・カリフォルニア州在住の日系の大学教授で、たまたま帰国中だった。

〈一ページずつゆっくりとめくっていく度に、驚きが増していきました。(略)流麗にして達者な女性的な筆跡。料紙の装飾技巧、書風・書体ともども、まぎれもない平安時代の特色を示しているではありませんか。一瞬、複製ではないかと目を疑いました。いや、こんな複製は見たことがない。冷静さを懸命に保とうとしましたが、頭や心臓はパニック状態です。〉

 終戦直後に、写本を持ち込まれたご本人の父親が、久邇宮家の秘書から購入したものだという。江戸時代の古筆家による極め書(鑑定保証書)も付いており、「四條大納言殿公任卿御真跡」とあった。要するに藤原公任によって書写されたものに間違いないというのだ。

〈保存状態は極めて良く、カリフォルニアの乾燥した気候が幸いしたのかもしれません。(略)公任筆の真贋はともかく、本書はその体裁も平安中期を下らぬ古鈔本であることは疑う余地がありません。しかも、二十巻を完存する最古の写本である元永本古今集よりもう一段古く、(略)新出の最古の完全本の出現との確信を強めました。〉

 斎藤氏は、それまでに50点以上の『古今和歌集』写本を扱ってきた。

〈その中では、伝冷泉為相筆の鎌倉時代写のもの(売価一千八百万円)……(略)などが忘れられませんが、これはそれらより数段上の、重美クラスの大物です。/「逃したくない」/思いきって買値を告げました。即座に答えも返ってきました。/「結構です」〉

 その息詰まる場面は、ミステリ小説なみの迫力だ。おなじ神保町の中野書店(当時)の中野智之氏(1954~2014)も、同書を見せてもらった時の感動を、こう記している。

〈見本のような平安時代の粘葉装。香紙や打雲、飛び雲といった梳紙に、流麗な王朝貴族の墨跡。零葉ですら「古筆」と尊重されることでしょう。それが全く欠点の見あたらない完本。いやすばらしい。頁をめくるごと、一枚一枚がまさに紙の宝石です。孝夫さんも興奮していたな。〉(「日本古書通信」2014年3月号~追悼寄稿「孝夫さんのネクタイ」より)

 斎藤氏は、当初、古書業界の入札会や、サザビーズなどのオークションに出品することも考えた。そのほうが、大きな利益が生まれる可能性が高い。しかし、そうはしなかった。

〈古書業者としての喜びは、良い本を扱い、それを望むお客様に納めることにあり、やはり自分の目録に出してみたい気持が強く、思いきってこの本一点だけの目録を作ることにいたしました。〉

 そして〈最後まで悩んだのが売値です。〉……それまでの最高値は、伝説の古書業者、弘文荘の反町茂雄氏(1901~1991)が1983年に売り出した、1236(嘉禎2)年書写、藤原為家筆の『土佐日記』で「7500万円」だった。

〈目録の原稿の締め切りの日、ただ一ヶ所空欄になっていた価格を書き入れました。/「一億五千万円」〉

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