皇帝・ベッケンバウアーさんと日本の意外な縁とは? 「強いうえに本物の紳士」「誕生日に夫婦で招待してくれた」

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「強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ」

 1974年、サッカーのワールドカップ(W杯)で、当時の西ドイツは前評判の高かったオランダに逆転勝ちして優勝した。この言葉は主将としてチームを束ねたフランツ・ベッケンバウアーさんが発したものだ。

 西ドイツのスーパースター。優雅なプレー、冷静な判断、味方を動かす統率力が魅力で愛称は「皇帝(ドイツ語ではカイザー)」だ。日本の報道では「王貞治と長嶋茂雄を合わせた以上の人気」と紹介された。

 世界を制した翌年、所属するバイエルン・ミュンヘンの一員として来日、日本代表と親善試合を行った。

「強いうえに本物の紳士」

 全日本の中心選手、釜本邦茂さんは振り返る。

「彼は私より1歳年下です。初対戦の印象は強烈でした。彼がからむと良いプレーが出るのです。難しいことをいとも簡単にやってのけます。技術の正確さ、戦術眼とどれも素晴らしく、プレーはエレガントでした」

 ベッケンバウアーさんは釜本さんの鋭いシュートを封じたが実力を称賛。ふたりは意気投合、親しい仲に。

 この75年の来日は試合以外にも強い印象を残した。

 当時、順天堂大学のサッカー部に所属していた倉田明男さんは思い出す。

「スタッフとして選手の皆さんが競技場からバスに乗り込む間をガードしていたところ、ベッケンバウアーさんのもとにファンが押し寄せてもみくちゃになってしまいました。人波が引いた後、“お兄ちゃん、何か落ちてるぞ”と言われて手にしたのが、ネックレスに指輪を通したものでした」

 ベッケンバウアーさんは紛失に気付き探してほしいと願い出ており、倉田さんのおかげで無事手元に戻って大喜びした。

「当たり前のことをしたのに、帰国したベッケンバウアーさんは私に直接会ってお礼を言いたいと本に書いたりしたようです。4年後の来日時、連絡が入って驚きました。言葉をかけられ握手を求められました。気持ちが込もっていて感激しました。強いうえに本物の紳士、まさに皇帝でした」

選手、監督両方でW杯優勝

 45年、ミュンヘン生まれ。幼い頃からサッカーを始め、ユース代表監督のデットマール・クラマーさんの薫陶を受けた。クラマーさんは60年から3年ほど日本代表を指導、「日本サッカーの父」と呼ばれる名伯楽だ。

 64年、地元のバイエルン・ミュンヘンとプロ契約。66年以来W杯に3大会連続で出場し、自国開催の74年、優勝に大きく貢献した。

 試合の流れを読み、支配していく力に長けていた。守備だけでなく、最終ラインから攻撃に積極的に参加。ラストパスを出し、時には自らゴールを決めた。ポジションの役割が厳密だった時代には画期的な動きで、世界のファンを魅了した。

 77年、北米サッカーリーグのニューヨーク・コスモスに移籍。しばしば来日し、釜本さんらと対戦している。

 83年引退。翌年に請われて西ドイツ代表の監督に就任した。86年W杯で準優勝、90年には優勝を飾る。選手、監督の双方で優勝を経験したのはわずか3人だけだ。

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