能登地震で被災した日本航空石川がセンバツへ 大震災を乗り越えた歴代出場校が甲子園で見せた“大健闘”を振り返る!

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「震災で苦労した経験が生んだ底力」

 第96回選抜高校野球の代表32校が1月26日に決定し、今年1月1日発生の能登半島地震で大きな被害を受けた石川県輪島市の日本航空石川が北信越地区代表に選ばれた。3月18日開幕の大会では、災害を乗り越え、チーム一丸となっての戦いぶりが注目される。そして、過去の大会でも、地震などの災害を乗り越えてセンバツに出場し、健闘したチームが少なくない。【久保田龍雄/ライター】

 1995年1月17日の阪神大震災から約2ヵ月後に開催された第67回大会では、被害が最も大きかった兵庫県から神港学園、育英、報徳学園の3校が出場し、いずれも初戦突破をはたした。

 地震直後は中止の可能性も検討されるなか、被災地復興の妨げにならないよう、練習場所や宿舎など運営上の諸問題を検討した末、「災害復興に寄与する大会」と意義づけて開催された同大会。

 第1日の第2試合に登場した育英は、震災直後、神戸市長田区にある同校のグラウンドに大きな亀裂が入り、避難所となった体育館には500人の被災者が身を寄せた。平松正宏監督も学生寮に泊まり込み、大型車で救援物資の搬送にあたった。

 初戦の相手・創価は前年夏の甲子園ベスト8の強豪だったが、育英ナインは、練習で全員が揃ったのは2月21日に出場が決まってからというハンデを跳ね返し、2回に一挙4点の集中攻撃で6対2と快勝。平松監督は「100点満点の試合」とナインの健闘をたたえ、創価・近藤省三監督も「震災で苦労した経験があんな底力を生んだのでしょう」と評した。

「涙で校歌が歌えませんでした」

 第3日には、前年秋の近畿大会準優勝校・神港学園が登場。震災後、「今やれることをやろう」という北原光広監督の提唱で避難所のボランティア活動に従事した神港ナインは、甲子園常連校・仙台育英に2点を先行されるも、4回に追いつき、6回に小林世拓の2ランで勝ち越すと、4対3で逃げ切り。「生徒が技術以上に粘りとか野球に対する新鮮さを持っていると感じました」(北原監督)。

 そして、第6日に登場した兵庫3校目・報徳学園も、6回まで前年夏の甲子園8強の北海に0対3とリードを許す苦しい展開も、7回に1点を返したあと、8回に中野大志の満塁の走者一掃の二塁打で劇的な逆転勝利を飾った。

 震災でトレーニング室のあった中等部校舎が全焼するなどの困難をナインとともに乗り越えてきた永田裕治監督は「気力の勝利です。涙で校歌が歌えませんでした」と感涙にむせんだ。

 その後、育英と報徳学園は2回戦で敗れたが、神港学園は8強入りをはたし、準々決勝では藤井秀悟(ヤクルト、日本ハムなど)の今治西と延長13回の熱闘を演じている。

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