「撮影後に篠山先生がかけてくれた言葉は…」 壇蜜、加納典明が明かす篠山紀信さんの素顔

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 レンズを通して昭和、平成、令和という時代を切り取ってきた巨匠・篠山紀信さん。その写真界の泰斗が1月4日、83歳で老衰のために都内の病院でこの世を去った。故人に特に縁ある三人が本誌(「週刊新潮」)に寄せた手向けの言葉とは――。

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 篠山紀信(本名・紀信=みちのぶ)さんは太平洋戦争開戦の前年に当たる1940年12月3日、東京市淀橋区柏木(現・東京都新宿区北新宿)で生を受けた。真言宗・圓照寺が生家で、父親は寺の住職である。

 4歳で終戦を迎えた。その頃を振り返って、篠山さんはこう語っている。

〈疎開先の秩父から東京に戻ってきて、覚えているのは一面の焼け野原。その何もないところから今の日本になるまでを写真で撮れた。面白い時代に立ちあったわけですよ〉(2019年4月2日付朝日新聞)

「一緒に酒を飲んで麻雀をした一番の親友」

 10歳で剃髪(ていはつ)し、得度式を終えた篠山少年が進学したのは増上寺系列の芝中学校・芝高校。高校卒業後、志望大学に落ちて選んだ進学先が日本大学芸術学部写真学科だった。

 当時のクラスメイトで篠山さん同様、女性グラビアを数多く手掛けてきた写真家の沢渡朔(はじめ)氏(84)が語る。

「彼も高校生のときにちょっと撮ってはいたみたいだけど、大学に入学した当初はまだ本格的ではなかった。僕は高校のとき写真部だったから、ワイドレンズとか望遠レンズとか持っていて、それを貸してあげたりしてね。一緒に学校で展示もやったし、酒も飲んだし、麻雀もしたし……。あのころ一緒に過ごした、僕にとっては一番の親友です」

 そう懐かしみながら、

「彼は当時からすごかったよ。絶対大物になると思っていた。商業写真家として成功するんだという強い決意があったから。夜は専門学校にも通って、写真について学んでいたもんね。それで3年生になったら、学生の身分にもかかわらず、(広告制作会社の)ライトパブリシティっていう会社に就職して。写真の撮り方を覚えて、すぐに撮りたかったんだろうね」

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