【王将戦第1局】藤井聡太八冠が先勝 中盤がすべてだった…菅井竜也八段が語った敗因は

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 将棋の王将戦七番勝負(主催・毎日新聞社、スポーツニッポン新聞社)の第1局が、1月7日、8日の両日、栃木県大田原市の「ホテル花月」で行われた。昨年11月に防衛した竜王戦以来のタイトル戦となった藤井聡太八冠(21)に挑んだのは、昨年の叡王戦の対戦相手・菅井竜也八段(31)。第1局は藤井が120手で先勝した。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

菅井は「振り飛車」の名手

 振り駒で先手を取った菅井は、飛車を7筋に振り、玉を「1九」に囲う「三間飛車穴熊」で挑んだ。対する藤井は、居飛車から「1一」に玉を囲う「居飛車穴熊」。角の交換もなく、ジワリと駒を前進させる両者。穴熊同士らしいじっくりとしたペースで進む。途中までは、昨年の叡王戦で菅井が勝った一局とほとんど同じ形になった。

 1日目の昼食は、藤井がカレー、菅井が鰻重。ちなみに鰻重は、加藤一二三九段(84)の対局食事の定番だ。菅井はこのご馳走を10分で平らげて対局室に戻り、将棋盤を睨んでいた。気合十分だ。

 岡山県出身の菅井は、現在では少数派の「振り飛車」の名手。王位のタイトルを勝ち取ったこともある。兵庫県加古川市に将棋道場を持つ名伯楽・井上慶太九段(59)の愛弟子だ。

 ABEMAで2日目の解説をしていた藤井猛九段(53)は「菅井さんは石田流三間飛車を目指していると思う」と話した。「石田流」は三間飛車の一つで、6段目に飛車を上げる陣形。江戸時代中期に活躍した盲目の棋士・石田検校が発案したとされ、その後、升田幸三名人(1918~1991)などによって様々な応用戦型が発案された。かつてはかなり人気があった戦法だが、最近はAI(人工知能)が振り飛車を推奨しないこともあってか廃れていた。それが今、再び注目を集めているという。

千日手の可能性

 立会人の塚田泰明九段(59)は1987年、弱冠22歳で中原誠十六世名人(76)から王座を奪って初タイトルを獲得。「塚田スペシャル」と呼ばれる相掛かりの先手から仕掛ける急先鋒の新戦型を編み出し、公式戦22連勝という当時の新記録を樹立した強豪だ。

 今回、1日目の午後から立会人を務めた塚田九段は、「千日手」の可能性が高まる難儀な局面が出てきてやや緊張したようだ。同じ局面が繰り返される千日手は、勝負が前に進まなくなるため指し直しになる。昨年5月に藤井と菅井が対戦した叡王戦では、第4局で千日手が成立した。

 千日手による指し直しはタイトル戦によってルールが異なり、王将戦では1日目の午後4時までに千日手になると、先手と後手を入れ替えてすぐに指し直し。4時以降は、封じ手の時刻である6時までの残り時間を折半して双方に加算し、翌日に指し直す。

 対局者は、千日手を回避しようとする場合や、逆に千日手に持ち込もうとする場合がある。立会人は、それをある程度、見抜く必要がある。対局の途中、ABEMAの中継でインタビューを受けた塚田九段は「千日手になりやすい変化でした。午後4時を境にする規定を確認していましたが、そのうち2人の様子から千日手にはならないと感じました」などとほっとした様子で話した。実際、千日手にはならなかった。

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