波紋を呼ぶ元外事警察官の新著…在外公館のスパイを把握する外務省「プロトコール・オフィス」の実態が明らかに

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プロトコール・オフィスとは?

 元外事警察官の勝丸円覚氏による著書『諜・無法地帯 暗躍するスパイたち』(実業之日本社)が、外務省内や関係者の間で話題になっているという。

 同著は、筆者がインタビューと構成を担当しており、これまで光が当てられることがなかった、日本におけるスパイ事情が明らかにされている。だからこそ政府機関が神経質になっているのだろう。

 筆者は『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)の取材でも、数多くの元諜報員に話を聞いてきたが、秘密裏に活動するスパイの生態は非常に興味深い。外交や経済安全保障などの情報収集を水面下で行う彼らの目的は「国家の利益」だ。国によってはスパイ活動は死刑に値する罪になるほど危険な活動だが、それでも世界各国で長年にわたって続けられてきた。

 隠密活動をするスパイにまつわる話を表に出すと、関係各所で物議をかもすこともある。今回、外務省が問題視している同書の内容のひとつが、「儀典官室」(プロトコール・オフィス)のルールについての記述だというが、それは一体どういうものか、解説したい。

 意外に思われる方も多いと思うが、国際的なインテリジェンス・コミュニティ(諜報分野)では、派遣されたスパイを相手国政府に通告するルールが存在する。外交儀礼の一環で、日本にある大使館や領事館にスパイを派遣している国々が、余計なトラブルに巻き込まれないよう、赴任している諜報機関職員を政府機関や関係省庁(日本であれば外務省)に知らせることになっているのである。

 ここで通告されるのは在外公館付けで、表向きは「外交官」の肩書きで活動しているスパイだ。彼らには不逮捕などの外交特権があるため、通告しておくことで、トラブルの際には互いの政府がスムーズに対応できるというわけだ。

 日本にある在外公館にいるスパイ=諜報機関の職員の素性を、実は日本政府が知っているという事実は、外事警察や筆者のようなスパイ問題を取材している者には公然の秘密だった。ところがその事情が、この本で明らかにされているのだから、外務省が不快に思うのも無理はない。

 もっとも、外務省が知っているこうした各国諜報員の情報は、警察庁の一部と、大使館や領事館の警備を担当する警備警察の一部、さらに警察から出向する内閣情報調査室の職員の一部にしか共有されていない。極めて機密性の高い情報なのである。

日本はスパイ天国

 しかも日本には、世界の主要国では当然のように存在する、他国のスパイ工作を食い止めるための、いわゆる「スパイ防止法」が存在しない。つまり、スパイ活動をする諜報員を把握していても、スパイ活動そのものを摘発するのは難しい。

 そうした「独特の事情」もあり、日本でのスパイ事件は後を絶たない。日本政府はスパイたちになめられている実態がある。

 例を挙げよう。2020年にはソフトバンク元社員や積水化学工業元社員が、相次いで社内の機密情報を外交官の肩書きを持つロシア人スパイに提供していたことで摘発されている。2021年には日本のJAXA(宇宙航空研究開発機構)など、200にもおよぶ機関の機密情報を盗む目的だった中国のスパイ工作に関与した、在日の中国共産党員が書類送検され、元中国人留学生に逮捕状が出される事件も起きている。

 問題なのは、これらは実際に情報が盗まれた事件であり、情報を盗むためのスパイ活動そのものを摘発したわけではないということだ。公安警察関係者への取材では、こうしたケースは氷山の一角に過ぎないという。

 日本の捜査当局による対諜報活動では、大使館に属する諜報員を常に監視している。ただし、国によってスパイの活動方法は違う。例えば、ロシアなら、在日ロシア大使館の通商代表部員などに諜報員が配属されていて、彼らが自ら現場に足を運びスパイ工作を行う。当局は、彼らの動きをほぼ監視しているが把握できていないケースもある。

 逆に在日中国大使館にいる諜報員は、自ら現場で活動することはない。日本全国にいる協力者のスパイを使いながら、情報収集や影響工作を行っている。そうなると活動を把握するのは困難になる。

 そもそも、本国から送られてくるスパイ組織の諜報員は、情報機関の公務員として来日しており、日本で協力者となるスパイを探してリクルートしたり、運用したりしている。CIA(米中央情報局)なら、その協力者を「アセット」や「エージェント」と呼ぶ。政界や企業などにいる協力者を使って情報を吸い上げたり、影響工作などを行っていたりするのである。

 もっとも、スパイがどんな方法で活動していても、すでに述べた通り、日本ではスパイ活動自体を摘発できない。実際に書類などの情報や、製品がスパイの手に渡った状況になって初めて、不正競争防止法違反や窃盗罪などで摘発が可能になるが、それまでは基本的に何もできない。そもそも、大使館員の肩書きで活動する諜報員は、不逮捕特権があるために、当局は拘束すらできない。

 捕まるのは、情報を渡した日本人側か、協力者のスパイということになるが、協力者には、当局が証拠を固める過程で、本ボシのスパイに捜査が気付かれてしまい、帰国または高跳びされてしまうことも多い。

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