鶴岡八幡宮も太宰府天満宮もかつてはお寺だった… 人気の初詣スポットが受けていたおぞましい破壊
日本最古の大神神社も僧侶が管理していた
したがって、われわれが由緒正しいと思っている社寺は、明治維新に際して人為的に、大きく姿を変えられてしまった例が非常に多いのである。
石清水八幡宮(京都府八幡市)は、境内がある男山にあった護国寺とともに発展し、その僧侶たちを中心に運営されてきた。祭神は八幡大菩薩、すなわち仏教に守られる八幡神であり、本殿には阿弥陀如来像が置かれていた。だが、神仏分離令によって護国寺は廃寺とされてしまい、僧たちの宿坊はすべて撤去。祭神は八幡大神に変えられた。
日本最古の神社とされる大神神社(奈良県桜井市)にしても、明治維新前は山内にあった大御輪寺と平等寺という二つの神宮寺によって管理されていた。だが、広大な境内に数々の堂宇が建ち並ぶこれらの神宮寺は、ともに廃寺となって、ほとんどの建物が破壊された。
福岡県の太宰府天満宮(太宰府市)も、安楽寺という寺院に起源があり、明治維新まで安楽寺天満宮という事実上の仏教寺院だった。ところが、神仏分離令を受けて安楽寺は廃寺となり、堂塔は破壊され、仏像や仏具は流出してしまった。しかも、である。天満宮のご神体は菅原道真の直筆とされる「法華経」八巻だったが、神を祀るべき天満宮のご神体が「法華経」であるのはけしからんとして、焼き捨ててしまったというのだ。
繰り返されたのは歴史と文化と伝統の破壊であった。現在は、神仏を分離すべき理由などどこにもないのだから、神仏の境界があいまいな日本の宗教のおおらかさを少しでも取り戻せないものか、と思う 。それはともかく、初詣の前に、あるいは参詣後に、当該寺社の歴史を簡単にでも調べてみるといい。「由緒ある」と思っていたものが、じつは、おぞましい破壊を受けた残滓であることが、意外と多いのである。