岡田監督・陽子夫人の告白「主人が野球から離れた10年間は貴重でした」と言うワケ

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陽子夫人は英語が堪能

 日本シリーズを戦う阪神・岡田彰布監督(65)を陰で支えるのが、陽子夫人(64)だ。岡田監督がプロ入りして3年目だった1982年に当時、日本ビクターで翻訳などの業務に従事していた陽子夫人と結婚。彼女は中学2年からカナダのモントリオールで過ごし、語学も堪能だという。

 その陽子夫人が自身のカナダ時代について語る。

「言葉も風習も全くわからない状態でモントリオールへ渡航し、何とか生き抜いた、と言ったら大袈裟な表現になりますが、困ったことが起きても自分で対応しなくてはなりませんでした。多少のハンディを背負っても動揺しない”ずうずうしさ”を知らないうちに身に着けたのかもしれません。その当時、海外生活に対応できない日本人の方も結構いらっしゃるという話もありましたから、わたしは恵まれていたと思います」

 帰国後はどんな生活を送っていたのか。

「上智大学比較文化学部に入学しました。授業はすべて英語で進められてとても楽しい学生時代を送りました。卒業後、日本ビクターに入社、配属先は企画室でした。当時、パイオニアがレーザーディスクを開発して脚光を浴びた時期で、それに対抗する製品をビクターも開発して販売を控えていたタイミングだったため、わたしは製品に関する情報収集業務を命じられたんです。主に、英字新聞や英語雑誌を読みながらその製品に関する情報を収集する業務です。ただ、英語の斜め読みは得意だった半面、日本語の翻訳が苦手だった。つまり、英語を読んでも頭の中で日本語に訳せず、英語のまま理解してしまう。だから英語を読んでも肝心な日本語に訳せず、辞書を引きながら訳さなくてはならなかったんです。翻訳経験が皆無だったので、きちんとした文章に訳せなかったとはいえ、そうした資料から製品に関する様々な情報を抽出したことで、お役には立てたと思います。しかし、入社してわずか1年で寿退社しました」

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