追悼・谷村新司さん 吉田拓郎から「信用できねぇ」と突っかかられて…筆者に語った爆笑エピソード

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 日本を代表するシンガーソングライターの1人で、アリスのメンバーだった谷村新司さんが逝去した。74歳だった。アリスとしては「冬の稲妻」(1977年)などを遺し、作詞家・作曲家としては山口百恵さん(64)に「いい日旅立ち」(1978年)を提供。ソロでも「昴」(1980年)などが長く愛されている。2015年のインタビューの一部を再録し、谷村さんを偲ぶ。

売れる、売れないは気にしない

 谷村新司さんは品のいい人だった。インタビュー中はずっと微笑みを絶やさず、時折ジョークを言い、こちらを和ませてくれた。

 谷村さんは1971年、堀内孝雄(73)とアリスを結成。翌72年に矢沢透(74)が合流した。その後、映画のタイトルにまでなった「帰らざる日々」(1976年)や「遠くで汽笛を聞きながら」(同)などの名曲を世に放つが、売れなかった。当時のフォークの聴き手は中高生が中心だったものの、詞も曲もやや大人びていたことが一因だろう。

「アリスは売れないグループ」というレッテルが貼られたころ、「冬の稲妻」が大ヒットする。谷村さんが作詞し、堀内が作曲、ギターの神様・石川鷹彦(80)が編曲した。それまでのフォークと違い、ロックの香りが強く、イントロから刺激的だった。今度は中高生からも圧倒的に支持され、TBS「ザ・ベストテン」(1978~89年)で最高5位に入った。

 世間は「アリスの時代が来た」と騒ぐ。だが、谷村さんはクールで、「売れる作品はいつでもつくれた」と言い放つ。後の実績を見ると、たしかに売れる作品は簡単につくることができたのだろう。

「流行るものは、いずれ廃れてしまう」

 しかし、谷村さんは売るために曲をつくるのが嫌だったのだ。2015年のインタビューでこう語っている。

「売れる、売れないは気にしません。流行りものをつくろうと思ったこともないです。流行るものは、いずれ廃れてしまいますから」(谷村さん)

 流行りものをつくろうとしたら、「いい日旅立ち」は生まれないだろう。この曲はリリースされた1978年当時、レコード売り上げが約54万枚に過ぎなかった。だが、2005年にNHKが実施した「スキウタ~紅白みんなでアンケート~」で紅組の10位になる。2007年に文化庁が発表した「日本の歌百選」にも選ばれた。作品もロングセラーとなり、累計では100万枚を突破している。

「周囲が『次の谷村の作品は、こう来る』と思っていたら、それには絶対に従いません」(谷村さん)

 プライドの高い人だった。一方で、音楽界で敵のいなかった人としても知られる。温厚な人格者だったからである。やはり大物の吉田拓郎(77)とも良好な関係を築いていた。2人が2014年に音楽番組で共演した後の打ち上げのエピソードが愉快だ。

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