【決勝】仙台育英vs.慶應は「春のセンバツ初戦」の再現 同様のケースは過去3回…春に敗れたチームに共通点

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 ついにクライマックスを迎える今年の夏の甲子園(第105回)。決勝に進出したのは、昨年夏の優勝校で大会2連覇を狙う仙台育英(宮城)と、東京代表だった1916年の第2回以来、107年ぶりの夏の甲子園優勝に王手をかけた慶應義塾(神奈川)だ。

 両校は今年の春のセンバツ(第95回)でともに2回戦から出場し、その初戦でも激突した。このときは延長10回タイブレークの末に仙台育英が勝利し、ベスト8まで勝ち進んでいる。このように「春のセンバツ初戦」のカードが同年の「夏の甲子園の決勝戦」で再現されるパターンは、過去に3度しかないレアケースだ。その3度を振り返ってみよう。

3度を振り返ると…

【1940年:海草中(現・向陽、和歌山)vs.島田商(静岡)】

 両校は1939年の夏の甲子園(第25回)でも準決勝で激突し、「伝説の大投手」と呼ばれた海草中の嶋清一選手(戦前の明治大野球部最後の主将でのちに戦死)の活躍で、島田商が17奪三振のノーヒットノーラン負けを喫した。ちなみに嶋は翌日の決勝戦でもノーヒットノーランを達成し、春夏の甲子園史上初となる5試合連続完封で全国制覇を果たしている。

 1940年の春のセンバツ(第17回)では、島田商が前年の仇打ちとばかりに初回4得点。これが致命傷となった海草中は、反撃及ばず4-5で惜敗してしまう。これで両校の対戦成績1勝1敗となり、同年の夏の甲子園(第26回)決勝戦で雌雄を決することになった。

 試合は両エースの投げ合いとなった。海草中は嶋のあとを受けた真田重蔵(横浜DeNAの前身・大洋に吸収合併された松竹などに在籍)と、島田商は一言多十(オリックスの前身・阪急などに在籍)だ。

 1-1で迎えた7回裏、海草中の志水清は二死からフライを打ち上げたが、打球が風に流されたため島田商の落球で出塁した。続く加納靖介が右中間に三塁打を放って勝ち越すと、この1点を真田が守りきり春の雪辱を果たした。同時に、史上4校目となる夏の甲子園連覇を果たしたのだった。

【1963年:明星(大阪)vs.下関商(山口)】

 1963年春のセンバツ(第35回)で優勝候補の筆頭とされたのが、強打の4番・和田徹(元・阪神など)を擁する明星だった。その強力打線を抑え込んだのが、下関商の2年生・池永正明(埼玉西武の前身球団にあたる西鉄に在籍)の快速球である。和田に2安打されたものの、5-0で見事完封勝利を収め、下関商は決勝戦へ。春夏を通じ初の北海道からの決勝進出となる北海を10-0で下した 。

 同年の夏の甲子園(第45回)でも、下関商は決勝戦で明星と対決した。春の雪辱を誓う明星は、池永攻略のために「機動力で揺さぶるしかない」と、1回表に先頭打者・片山宏のバント安打に遊失などを絡めて2点を先取した。

 下関商は6回裏に2本の連続長打で1点を返したものの、1-2で敗れた。なお、このとき明星を率いていたのは、先に触れた海草中で優勝投手となった真田重蔵だ。甲子園優勝投手にして甲子園優勝監督となった第1号だった。

【2019年:履正社(大阪)vs.星稜(石川)】

 2019年の春のセンバツ(第91回)初日に激突した両校。履正社は4番の井上広大(現・阪神)を中心とする超強力打線が持ち味、対する星稜は最速154キロの直球と4種類の変化球を操る超高校級右腕・奥川恭伸(現・ヤクルト)を擁していた。結果は奥川が17奪三振の快投をみせ、3-0で勝利している。

 再戦は同年の夏の甲子園(第101回)の決勝だった。この大会での履正社は1回戦で大会最多タイ記録となる1試合5本塁打、5試合連続二ケタ安打をマークするなど、春にも増して打線が強力になっていた。対する星稜は、準決勝までの5試合で投手陣の失点わずかに5で、エース・奥川に至っては自責点0という強力な投手陣を誇っていた。

 結末は履正社が奥川に11安打を浴びせ、5-3で勝利した。春のセンバツで4打数無安打2三振と奥川に完敗していた履正社の井上は、ここでも5打数3三振を喫したものの、唯一放ったヒットがこの大会3本目の本塁打だった。しかも0-1で迎えた3回表、外角高めのスライダーを叩いて左中間へぶち込む値千金の逆転3ランだ。雪辱を果たすとともに、チームを初の甲子園優勝へ導く貴重な1発となったのである。

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