娘の大学合格を確認した晩、スナック勤務の不倫相手と駆け落ち…49歳男性が結婚生活に感じていた違和感の正体

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前編【義理の両親は心の中で僕を見下していた… 入り婿だった49歳男性が語る“我慢ならなかった結婚生活”】からのつづき

 隈田忠士さん(49歳・仮名=以下同)は、5年前に不倫相手と駆け落ちし、そのまま婚姻届けを出さないまま生活を続けている。25歳の時に結婚した麻実さんは勤務先の社長の娘で、彼は婿養子として迎えられた。一男一女に恵まれるも、親戚をたらい回しにされて育った生い立ちから、どこか「家族」というものに馴染めない。求められるまま始まった二世帯暮らしにも居心地の悪さを感じていた。

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 30代半ばのころ、忠士さんは、とあるスナックのママと親しくなった。男女の関係ではなかったが、ときおり顔を出して話をしているうちにお互いの環境が似ているとわかって心を通わせたのだ。

「ママも親との縁が薄かったそうです。両親は離婚して、それぞれ新しい家庭を作り、彼女は祖母とふたり暮らし。その祖母も彼女が高校生のときに亡くなって、それからは完全に根無し草ねと笑っていた。18歳で子どもを産んで男に逃げられて、ひとりで子どもを育てたんだそう。でも子どもがいたから生きてこられたと言っていました。母は強いなあと思いました。男はダメですね、やっぱり。もし僕が子どもとふたりで生きていかなければならないとしたら、一緒に潰れてしまうかもしれない。シングルファーザーでも強くしなやかにがんばっている人たちがいるのは知っていますが、僕には無理だろうなと思っちゃいますね。人としてどこか欠けているんだろうと思います」

 ママからは学ぶことが多かった。自身の人生が幸福なのか不幸なのかの判断もつかなかった忠士さんだが、「幸不幸は今決めなくていいのよ」「人間なんて、ただ生きていればいいんじゃない?」というママのあっけらかんとした人生観に影響を受けた。

 まじめに生きてきたし、それなりに家庭を大事にしてきたつもりだったが、どうしても義父や義母の押しつけや抑えつけが苦しくてたまらない。自分さえ我慢すればうまくいくと思いつつ、その我慢がいつまで続くのか見えないだけにつらかった。

 子どもたちは麻実さんと祖父母に育てられ、じゅうぶんな教育を受けている。長女も長男も中学から私立へ進学した。家族や学校などに何重にも保護されながら、その年代で最高の環境に生きている。ときおり、忠士さんは「あてがい扶持に満足せず、もっと本能を活かせ、大志を抱け」と言いたくなったが、自分の時代とは違うし状況も違う。

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