蛭子さんは15分遅刻、マドンナのブドウ狩り事件…16年前に放送、初の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」を振り返る

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普通の旅番組の雰囲気漂う緩い構成だった第1弾

 最終日の4日目、やっと高山に到着した。白川郷(岐阜県大野郡)行きバスの乗り継ぎを待つ45分間で、太川と蛭子は朝市で買い物を楽しみ、中島は人力車で町をめぐる。白川郷では約2時間半の待ち時間を使って、太川と蛭子は合掌作りの集落を見学し、中島は土産店で見つけた布草履を制作したおばあさんの自宅を訪問した。

 合流した3人は昼食後、高岡行きのバスに乗るが、そもそもの目的地が「富山湾」とかなりざっくりしていることに気づいた。そこで、高岡からバスで行けそうな富山湾沿いの街として氷見を選び、やっと最終目的地が決まったのだった。スタートからゴールまでが明確になったのは、第2弾からである。

 こうして3泊4日をかけてようやく日本海に到達した。氷見海岸の看板を確認してバスを降りた3人は、日本海へと走り出す。距離にして約600キロ、バス19本を乗り継いでのゴールであった。

 番組のエンディングも、この第1弾ではちょっと変わっていた。なんと3人は、海産物が売りの居酒屋で「打ちあげ」をしたのだ。第2弾以降は、無事にゴールしても失敗してもその場で締めている。

 第1弾は最初からガチンコ要素はあるものの、ルールが徹底されていなかったこともあり、全体的に普通の旅番組の雰囲気漂う緩い構成になっていたことが分かる。この緩さは初期の特徴の一つで、3人納得して寄り道するパターンは第2弾(東京・日本橋~京都・三条大橋)の沼津漁港(静岡県)でのお寿司や第4弾(京都・三条大橋~広島・宮島)の「大型放射光施設 SPring-8」(兵庫県佐用郡)の見学などがある。

 バス路線がない区間のタクシー利用も、第2弾では3回、第4弾では1回あった。だが、回を重ねるうちにルールが厳格化し、現在の過酷な旅番組になっていったのである。

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