【猿之助自殺未遂事件】 「いつ辞めるか分かりません」「受験勉強はまったくやらなかった」 18歳、慶應ボーイ時代の言葉

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

順風満帆な一家だった

 5月18日午前10時すぎ、市川段四郎さん(76)、喜熨斗(きのし)延子さん(75)夫妻とその息子、市川猿之助(47)が東京都目黒区の自宅で倒れているところを発見された。まもなく段四郎夫妻の死亡と、猿之助のひとまずの無事が明らかになった。

 第一報を聞いた時点では、多くの人が何らかの偶発的な事故を想像したのではないだろうか。しかし、ご存じの通り、続報ではそうした単純な捉え方を否定する言葉が次々と飛び交うこととなった。性加害、大量の向精神薬、複数の遺書、生まれ変わり……。

 2016年には旭日双光章を受章した父を持ち、いまや押しも押されもせぬ名優として活躍するようになった猿之助。傍目には順風満帆な人生にしか見えなかったはずだ。

まだ亀次郎だった18歳の頃

 今をさかのぼること29年、1994年に写真週刊誌「FOCUS」は、まだ亀治郎と呼ばれていたころの猿之助のインタビュー記事を掲載している。

 暁星高校から慶應大学文学部に推薦合格したばかりの18歳は、当時こんなことを語っていた。

「歌舞伎といえば、稽古が厳しくて大変だと思うでしょうが、案外、楽なもんですよ。稽古は週2~3日ですし、自分の時間もたっぷりある。大学に入るためだけの勉強は嫌いだから、受験勉強も全くやりませんでしたしね」

 取材は伯父の先代猿之助(現・猿翁)が座長を務めるスーパー歌舞伎「八犬伝」に出演のさなかに行われたが、言葉の端々には自信が漲り、やがて背負う大看板に気後れする様子もなかった。

「風林火山」の武田信玄役

 そしてその言を実行するように、歌舞伎の枠を軽々と飛び越えて、2007年にNHK大河ドラマ「風林火山」で武田信玄役を果たすと、以降、映画、ドラマの世界でも、シリアス、コメディー関係なく、何でもこなせる実力派俳優として実績を積み上げていった。

 それから何年か経った2013年、舞台公演を終え、都内の百貨店で買い物をする当人をカメラマンが見かけたことがある。

 人気急上昇中の独身の芸能人。パートナーと一緒では、とカメラマンは様子をうかがっていたが、和菓子と日本酒を求めたのち、まっすぐ自宅へと帰っていったという。

 伯父、三代目猿之助のスーパー歌舞伎で一躍名を挙げた亀治郎は、2012年、伯父の名跡を襲って四代目猿之助となり、ついには自らの座長公演を開くまでになったが、その公演中に起こったのが今回の事件だった。

 座長不在で、その代役を急遽引き受けることとなったのは市川團子(19)。市川中車こと香川照之(57)の実子である。その熱演ぶりが賞賛を浴びているのは、この事件に関連した数少ない明るい話題といえるだろう。

次ページ:残された「緊急取調室」問題

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。