委員全員に横綱昇進を否決された「北の富士」の覚醒 「ほほ笑みの似合う横綱」の素顔とは(小林信也)
1998年からNHKの大相撲解説を務める北の富士勝昭は第52代横綱。幕内優勝を10回記録している。
私が北の富士に魅かれたのは、熱烈なファンだった豊山が大関昇進後に精彩を欠き、応援のしがいがなくなった時期。豊山の前に立ちはだかる佐田の山を倒してくれるのが北の富士だった。当時は、二人の浅からぬ因縁を知らなかった。
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佐田の山と北の富士は、同じ出羽海部屋の力士。
66年7月場所後に北の富士の大関昇進が決まった時、使者を迎えたのは、北の富士と横綱・佐田の山だった。親方不在の伝達式はおそらく前例がない。直前3場所が8勝、10勝、10勝。まさか昇進すると思わない出羽海親方は出かけて留守だった。北の富士は前夜の大酒で熟睡していた。床山に起こされ、慌てて佐田の山の紋付を借りた。
その兄弟子と袂を分かつのは67年1月場所後だ。部屋付きの九重親方(元横綱・千代の山)が独立を申し出た。千代の山を頼って入門した北の富士は悩んだ末、「裏切り者」と非難を浴びつつ、九重部屋に移った。2番手から部屋頭となった。移籍直後の67年3月場所が、北の富士の最初の「覚醒の時」だったかもしれない。
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