岡田准一や阿部寛の存在感は抜群、はっきりしてきた「どうする家康」の弱点は?

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 NHK大河ドラマ「どうする家康」(日曜午後8時)がイマイチ盛り上がらない。5月7日放送の第17話の視聴率は個人6.0%(世帯10.1%)で、大河としては振るわない。既に全放送(48話前後)の3分の1が終了している。ここから浮上を遂げられるのか(視聴率はビデオリサーチ調べ、関東地区)。

サブストーリーは見応えがあるものの…

「どうする家康」は土曜午後1時から再放送されている。BSプレミアムとBS4Kでも放送中。この条件は2021年の大河「青天を衝け」から同じなので、ここ2年の大河の視聴率と「どうする家康」の数字を比較すると、今ひとつ人気が高まらない実情が浮かび上がる。

 2022年5月8日放送の「鎌倉殿の13人」の視聴率は個人7.6%(世帯12.7%)だった。2021年5月9日放送の「青天を衝け」は個人7.9%(世帯13.9%)。「どうする家康」は両作品より個人が1.6~1.9%、世帯が2.6~3.8%低い。

 全国の視聴率に目を移すと、大半がもっと低い。同じ第17話は関西の個人が5.6%(世帯9.8%)、札幌は個人3.7%(世帯6.3%)、北部九州は個人5.7%(世帯8.8%)。3地域とも世帯で2ケタを割ってしまっている。

 ご覧になっている方ならお分かりの通り、つまらないわけではない。クスリとしたり、胸を衝かれたりするシーンが随所に織り込まれている。フジテレビ「リーガル・ハイ」(2012年)などのヒット作を書いてきた脚本家・古沢良太氏(49)の作品だけある。ところが、それが人気に結び付いていない。

 どうしてなのだろう。サブストーリーの笑いや涙のシーンは見応えがあるものの、家康(松本潤・39)が担うメインストーリーが力強さを感じさせないからではないか。織田信長(岡田准一・42)と武田信玄(阿部寛・58)はやたら目立ち、まるで主人公のような存在感を誇る一方、松潤版・家康は求心力に欠ける気がしてならない。

 物語は家康が14歳の時から始まり、「三方ヶ原の戦い」(1572年)が描かれた第17話では31歳になっているが、ほとんど成長していないように見える。とっちゃん坊や状態である。

 信長に刃向かっておきながら、すぐに「ワシはもうお終いじゃ~」と泣きごとを言ったり(第14話)、何かにつけ正室・瀬名(有村架純・30)に甘えたり。家康という男は家臣たちの手を焼かせ、老獪な信長と信玄にもてあそばれている存在に過ぎなく思えてしまう。

作品全体に感情移入しにくい理由とは

 サブストーリーは充実している。第16話もクスリとさせられた。家康が信玄と一触即発の状態になったため、酒井忠次(大森南朋・51)や石川数正(松重豊・60)ら徳川家家臣に対処策を相談した際のことである。

「ワシは信玄に何がおよばない。何が足りぬ。包まず申せ!」(家康)
「何かと言われても……」(酒井)
「すべて」(石川)
「もう少し遠回しに申せ!」(家康)

 まるで松潤、大森、松重によるコントだ。第17話は家臣の本多平八郎(山田裕貴・32)に笑った。平八郎が信玄軍の先鋒と衝突し、血まみれになって帰ってきたが、「手当ては無用! 見ての通り、かすり傷1つ負わなんだわ」と強がったシーンである。人間の自尊心や虚栄心を使ったギャグは古沢氏の得意技と言える。

 胸を打つシーンもある。第14話。浅井長政(大貫勇輔・34)に嫁いだ信長の妹・お市(北川景子・36)の意を汲んだ侍女・阿月(伊東蒼・17)が、10里(約40キロ)も走り、家康に浅井の裏切りを伝えた。阿月はそのまま息絶えた。お市から受けた恩に報いるための疾走だった。

 とはいえ、メインストーリーを担う家康がふがいなく、あまり輝きが感じられないから、作品全体に感情移入しにくい。第17話の家康も煮え切らなかった。信玄軍が目の前に迫りながら、対応策をなかなか決められず、なんとも情けなかった。

 第16話もそう。信玄から「生き延びたかったら家臣になれ」と通告されたものの、やっぱり自分では決められず、家臣に対し「ワシの独断では決められぬ。おのおのが決めてよい」と丸投げする。

 この言葉を受けた酒井が「皆の衆、どうする。ウチの殿はこの通り頼りないぞ」と周囲に尋ねると、「信玄のほうがマシ」という意見が出る始末。その声に消沈する家康の姿は愉快なのだが、共感するのは難しいのではないか。

 松潤にとって、この家康はハマり役のはず。やさしいが、甘ったれで、臆病。甘いマスクと雰囲気の松潤に合う。家臣たちが支えたい存在であるという設定も松潤に相応しい。

 けれど、そんなキャラクターが観る側からも愛されるためには、ここ一番というところで、非凡な部分や憧憬心が持てる一面を見せなくてならないはず。松潤版の家康からは、それがほとんど感じられない。

 ここまで頼りない主人公は大河史上で初に違いない。大河の主人公は勇壮でなくてはならないという決まりはないし、尊敬される偉人でなくてもいい。史実と違っていたって構わないだろう。現代人は主人公の実像を知らないし、ドラマなのだから。半面、視聴者側が惹かれる人物が主人公でないと、物語に引きこまれにくい。

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