「突っ立ってねえで、こっちへ来い!」 漫画原作者・早川光に激怒した老舗すし店の大親方の“本当の目的”とは?

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「本を読んだ親父が怒っている。顔を出してくれ」

 漫画原作者で著述家の早川光さん。BS放送「早川光の最高に旨い寿司」のナビゲーターを務め、『新時代の江戸前鮨がわかる本』など江戸前ずしに関する著書なども手掛ける彼が、もういちど会いたい、と願うのは、浅草の老舗「弁天山美家古壽司」の大親方だ。当時24歳だった早川さんはその大親方のことをとにかく恐れていて……。

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 1985年の7月、僕は最初の著書「すし 江戸前を食べる」を上梓した。浅草の「弁天山美家古壽司」をはじめ、都内の数軒の老舗を取材して書いた、江戸前ずしの入門書だ。

 見本が刷り上がり、関係各所に郵送して数日後「弁天山美家古壽司」の親方、内田正さんから電話があった。「本を読んだ親父が怒っている。顔を出してくれ」。

“親父”というのは親方の父、大親方の内田榮一さんのことだ。握り名人としてつとに知られた、斯界では神様と呼ばれる人。真っ青になった僕は、店の営業が終わる夜9時過ぎにおっとり刀で駆けつけた。

「突っ立ってねえで、こっちへ来い!」

 おそるおそる引き戸を開けると、大親方が腕組みをして立っていた。そして僕の顔を見るなり、店の若い衆に「戸を閉めろ。心張りも下ろしちまえ」と険しい顔で言ったもんだから、震え上がった。

 心張りというのはつっかい棒のこと。要するにつっかい棒で引き戸を押さえて、外に出られないようにしろという意味だ。ああ、これはカンカンに怒っている。きっとブン殴られるに違いない。

 それにしても大親方は、なぜこんなに立腹しているのだろう。確かに拙い文章ではあるけれど、本そのものは初心者向けの内容だし、基本的に内田正さんと人形町「㐂寿司」の3代目親方、油井隆一さんへのインタビューをもとに構成しているので、大きな間違いや事実誤認などはないはずだ。内緒で大親方の似顔のイラストを載せたのがいけなかったのか、それとも本を持ってあいさつに行かず郵便で送りつけたのがまずかったのか。そんなことを堂々巡りで考えていると、大親方が怒気を強めて「突っ立ってねえで、こっちへ来い!」と言った。

 覚悟を決めて店の奥に行き「すみませんでした」と頭を下げると、大親方は「お前、この本いったい何冊作ったんだ?」と尋ねた。「5千部刷りました」。すると一瞬天を仰いで「仕方ねえ。あるだけ持ってこい。全部買ってやる」。確かにそう言った。

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