欧米はロシアとの約束を破ったのか プーチンが唱え続ける「NATOは拡大しないという約束」は本当にあったのか

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米国務長官がゴルバチョフに告げた「ひとこと」

 西側によるNATO不拡大約束が存在したと主張される場合、その証拠として最も頻繁に引用されるのは、モスクワを訪問した当時のベーカー米国務長官とゴルバチョフソ連共産党書記長との会談でのやりとりである。1990年2月9日のことだった。

ベーカー:今すぐ回答を求めるわけではないが一つ質問をしたい。ドイツ統一が実現するとして、(1)NATOの枠の外で完全に独立して米軍部隊の存在しない統一ドイツがよいか(2)NATOとのつながりを維持したうえで、しかしNATOの管轄権や部隊は現在の境界から東には拡大しないとの保証のついた統一ドイツがよいか?

ゴルバチョフ:すべてについてじっくり考えたい。指導部において議論する。しかし、当然のことながら、NATOの領域が拡大することは受け入れられない。

ベーカー:その点については同意する。

 これだけを読めば、NATOの不拡大を約束しているようにみえる。しかし、ここで注意しなければならないのは、第一に、この会談がおこなわれた文脈、つまり当時の状況であり、第二に、ここでいうNATO(の管轄権ないし領域)の「拡大」が何を指していたのか、そして第三に、口頭であってもこれは約束だったのか、ということである。順にみていこう。

NATO拡大よりも「ドイツ統一」を優先した当時

 まず重要なのは、このベーカー・ゴルバチョフ会談が、ドイツ統一が急激に現実の課題として浮上していながら、ソ連はそれを認めないだろうという観測が強かった状況でおこなわれたということだ。

 ソ連があくまでもドイツ統一に反対するのであれば、東ドイツに駐留しているソ連軍が行動を起こすという最悪のシナリオも懸念されていた。ソ連にとってのドイツ統一は、陣営内の秩序を破壊する行為だったからである。そうしたなかで西側各国は、ソ連の意向を、まさに腫れ物に触れるかのように、慎重に探っていたのである。

 端的にいってしまえば、いかにソ連を懐柔し、ドイツ統一交渉の出発点に立つことができるかが、西側の最大の関心だった。ベーカーはそれゆえ、対ソ配慮を前面に出した対応をしている。第2次世界大戦の戦勝4カ国の一つとして、ソ連はドイツに対する権限を有しており、ソ連の同意しないドイツ統一は国際法的にもあり得なかった。まずは、詳細はともあれドイツ統一への原則論的反対を乗り越え、入り口に辿(たど)り着くことが目指された。ベーカーの議論の中心も、NATOや欧州秩序の将来ではなく、ドイツ統一という展望をいかに捉えるかというものだった。

 ベーカーがモスクワで述べた「NATOの管轄権」が何を指していたのかは実際のところ不明確だが、交渉を経て、ソ連を含めた関係国間で1990年9月に正式に合意されたのは、旧東独地域に部隊の駐留、展開がないことについてのみだ(「2+4条約」)。そして完全な主権を回復した統一ドイツは、一体としてNATOに残留する決定をしたのであり、それはソ連も当然理解したうえで条約に署名したのである。

 ワルシャワ条約機構が依然として存在し、それら諸国にソ連軍が駐留していた状況で、統一ドイツを越えて、NATOが拡大するという議論が現実的だったとは思えない。ワルシャワ条約機構加盟国のNATO加盟があり得ないのも、是非の問題ではなく、当時の当然の前提に過ぎなかったのではないか。

 当時の議論が旧東ドイツに限定したものだったという解釈に従えば、今日の文脈でのNATO不拡大約束が存在したという主張の意味はなくなるが、もう一つの論点として、それは約束だったといえるのかという問題についてもみておきたい。国際交渉においては、条約などの文書に規定されない口頭でのものも約束として成立し得るのは事実である。これが認められないとすれば、すべてを文書でやりとりする必要が生じてしまう。

 しかし、ベーカー・ゴルバチョフ間のやりとりは、正式な交渉以前の、いわばブレインストーミングのような議論である。交渉をはじめる前に、さまざまな想定を検討していたと考えるのが妥当だろう。そうした段階の一言一言を約束だと捉えては、外交をおこなうこと自体が困難になってしまいかねない。

 さらに重要なことに、ベーカーがモスクワで言及した方針は、実際の交渉に向けて、当時のブッシュ(父)米国大統領政権内での議論の末に否定されるのである。つまり、それはドイツ統一交渉における米国の正式な方針にならなかった。正式な方針に基づいて交渉され、署名・批准されたのが、前述の「2+4条約」である。

存在しない「文書化された合意」

 ドイツ統一交渉時のNATO不拡大約束については、すでに膨大な外交史研究が存在する。当時の外交文書の公開が進んだことも一因だが、この問題は、外交史研究の論争である以上に、政治的論争になっている。それゆえに、この議論は終わらない。

 事実関係としては、ベーカーのような発言はあったものの、少なくとも文書化された合意は存在していないことまではコンセンサスがあるといえる。筆者は、ロシアの主張する中東欧諸国へのNATO不拡大約束は存在していないとの立場だが、そこから先は1990年代以降のロシアの行動も含めて考える必要がある。

 ロシアがNATO拡大に一貫して否定的立場を維持してきたことは明らかだが、その後のロシアは、拡大に関してNATOとの「手打ち」もおこなってきたのである。NATO側も加盟国拡大と並行してロシアとの関係構築をはかってきたし、ロシア側もそれを渋々ではあっても受け入れてきた。この事実を見落としてはならない。

 こうした過程を経てもなお、そして、NATOや欧州の国際関係の多くの条件が変化するなかでも、1990年2月の会談におけるベーカー国務長官の発言のみは、時代を超えて有効性を持ち続けるという主張は、やはり相当に現実離れしているといわざるを得ない。

『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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