サンシャイン池崎が“素のキャラクター”を出すことを求められないのは何故か

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ゆるめないアクセル

 若手芸人がテレビに出始めてしばらく経つと、素のキャラクターを出すことが求められるようになる。ネタの中のキャラクターを超えたところで、普段のその人はどういう人物なのかということが興味の対象になっていくからだ。

 でも、池崎はいつまで経ってもそういう扱いを受けることがなかった。彼はひな壇に座っても、ひたすら大声を張り上げるだけで、決してアクセルをゆるめることがなかった。器用にあれこれ対応しようとする若手芸人が増えている中で、池崎のその一途な姿がいっそう魅力的に見えていた。彼は、他人からバカバカしいと笑われる存在であり続けることで、自分のブランド価値を保っていた。

 最近では猫好きの一面が知られるようになり、彼の素顔の部分にも興味が持たれるようになった。しかし、そのイメージは決して表向きのハイテンションキャラと矛盾しているわけではない。両方に共通するのは「純粋で一途な気持ち」である。

 脇目もふらずにまっすぐ芸に向き合い、そこにすべてを懸ける生き様こそが、多くの人の心を動かしているのだろう。多くを語らず、1つのキャラに徹している彼は、まさに少年マンガに出てくるスーパーヒーローのような孤高の存在なのだ。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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