「門田博光」は2度の「右肩脱臼」…ホームラン直後に起きた“驚くべきアクシデント”

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ハイタッチの悲劇

 本塁打が期待されるシーンで、狙いどおり、会心の一発が飛び出した。打った本人はもちろん天にも昇る心地だが、時には喜び過ぎて、思わぬハプニングやアクシデントに見舞われるのも、野球の怖さである。【久保田龍雄/ライター】

 まずは歓喜のハイタッチがもたらした1984年4月14日の南海対日本ハムでのアクシデントを紹介する。

 0対4とリードされた南海は5回、先頭の3番・門田博光が右越えに7試合ぶりの3号ソロを放った。ダイヤモンドを1周し、ベンチに戻ってきた門田を、ナインがハイタッチで出迎える。ところが、次の瞬間、門田は「痛い!」と叫び、顔をしかめて右肩を押さえた。反撃ムードも一瞬にしてしぼむようなアクシデントだった。

 トレーナー室で応急処置を受けた門田は「力を抜いて(右手で)タッチしていたら、強く手を叩いた選手がいて、右肩が半脱臼してしまった。慢性のもので、前にも3度抜けたことがある。ある一定の方向にガクッと力を入れると、抜けるんや」と説明した。
 
 新人時代の1970年、二塁走者のときに頭から帰塁した際に右肩を脱臼して以来、癖になっているのだという。

 何度も経験しているとあって、この日は抜けたと思った瞬間、自分ではめ込み、氷で冷やしたあと、テーピングしただけで、「病院へは行かん。月がきれいやね。ほな帰るわ」と何事もなかったように帰宅してしまった。

「過去の経緯から、湿布と飲み薬で2日ほど自宅静養すれば、20日からの阪急戦には痛いなりに出場できる」という話だったが、その言葉どおり、門田は3試合欠場しただけで、20日の阪急戦から再出場をはたしている。

ブーマーの祝福で再び“ご難”

 以来、南海では強いタッチを禁止していたのだが、オリックス移籍後の89年9月25日のダイエー戦で再び“ご難”に見舞われる。

 0対4の3回に追撃の30号ソロを放った門田だったが、ホームインのあと、右手を挙げたブーマーとハイタッチをかわした際に、右肩関節が外れ、その場にうずくまってしまった。

 事情を知らずに強くタッチしてしまったブーマーもひどく落ち込み、試合は1対9と大敗。門田もその後8試合欠場し、主砲が抜けたチームは、最終的に近鉄にゲーム差なしのわずか1厘差で優勝を逃した。

 今年1月、門田氏の訃報に接したブーマー氏は「彼がホームランを打ったあと、ハイタッチで脱臼させてしまったことは、今でも鮮明に覚えています」としみじみ回顧していた。

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