大学教授、高学歴者は意外にダマされやすい 中野信子氏が「詐欺と脳」について解説

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 今日は何を着ようか、交通手段は電車かタクシーか、家に帰ったら何をしよう――私たちは日々絶え間ない選択を繰り返しながら生きている。ケンブリッジ大学の研究結果によると、人は着る服や食べる物レベルからビジネス上の重大な決断も含め、1日最大3万5千回の選択を行っているだのという。

 だが、細かな選択と軽い後悔で済むぐらいならともかく、知らないうちに詐欺に巻き込まれてしまうケースもある。高齢者を狙ったオレオレ詐欺から若い世代に広がる情報商材型まで、他人から見るとなぜ引っかかってしまうのか不思議なぐらいだが、もともとヒトの脳とはそうした弱点を抱えているという。中野信子氏の最新刊『脳の闇』から紹介しよう。

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客観視できない人はだまされやすい

 人間の脳にとって「選択する」というのは、負荷が高い行為なのだ。意思決定に要するエネルギーは少なくない。「白か黒か」の二者択一ならば許容できるレベルであっても、そこまで選択肢の優劣がはっきりしているケースはごくわずかだろう。多くの決断は情報を整理・比較・検討する必要がある。

 人は、リスクとベネフィットを評価し、その差分の大きい選択肢を取ることを日常的にしている。けれどもしばしば、効用関数は変化する。リスクとベネフィットの評価が、外部からの情報によって揺らいでしまう。すると、棄却することを一度は決めたはずの選択肢について、リスクよりもベネフィットのほうが大きく見え、「惜しい」という気持ちが生じる。「劇場型」と呼ばれるストーリー仕立ての詐欺をはたらく側は、その効用関数の揺らぎにつけこむのである。

 一般に、だまされやすくなっているとき、その人の「メタ認知」能力は下がっている。メタ認知とは、簡単に言うと「自分自身を俯瞰で見る」脳の機能である。この機能が十分に働いていれば、中立だろうが偏っていようが、自分にとって不都合な情報も適切に取り入れることができるはずである。これは、自分を客観視して、「人間とは、そもそもだまされやすい生き物だ」ということを理解する能力、と言い換えてもよい。

人は本能的に脳をさぼらせようとする

 そもそも脳は、怠けたがる臓器である。脳は、人間が体全体で消費する酸素量のおよそ4分の1を使っている。そのため人間の体は本能的に、脳の活動量を抑えて負荷を低くしようとする。ところが、「疑う」「慣れた考え方を捨てる」といった場面では、脳に大きな負荷がかかるのだ。自分で考えず、誰かからの命令にそのまま従おうとするのは、脳の本質ともいえる。

 弱り目に祟り目、という言葉がある。気弱になっている時の脳は自分自身の計算よりも、他者からの不確かな情報を優先しやすい。つまり、だまされやすい状態にある。自分は弱っている、という自覚のある人は、特に気を付けてほしいところだ。

 さらに、古典的な詐欺の手口に「ロマンス型」がある。まさに性 愛は理性的な判断を鈍らせるためにある脳の機能だ。ハニートラップは、歴史的にずっと有効なだましの手段であり、依然として使われ続けている。

 人間が自分ではどうしようもない弱点につけ入るのが、詐欺の本質である。

インテリ、高学歴者が意外とだまされやすい理由

 もし私が詐欺師なら、「高学歴の人」「キャリアの派手な人」を狙うかもしれないな、と思う。強い自信を持っており、専門以外のことについては特に知識があるわけでもないのに、意外にもその強い自信から、他者の冷静な意見を受け入れない傾向を持っている。驚くにはあたらない結果かもしれないが、名門校の大学教授の94%は自分が同僚よりも優れているとみなしているという研究がある。この認知の歪みは、悪意のある側からすれば、特定の考え方に誘導しやすく、しかも一度だましてしまえば社会的な影響力は大きいので二度おいしい。また、裁量権を持っていることも多い。さらにコスパが良いといえる。

 高学歴の人についてもう少し言及すると、その中には、受験という限定的な場面でプレゼンスを発揮しただけのことを、なぜか「他のことにも才能を発揮できる」と無意識に拡大解釈しており、自己評価の過剰な高さが目立つ人も少なくない。相手に対する配慮を配分率という形で評価できる独裁者ゲームをやらせると、高学歴の人は相手に対してより少なく配分する傾向がみられることがわかっている。人生のスキームが単一だと信じているからだろうか、権威や性別による前時代的な序列構造に、比較的従順であるという特徴も持っている。これは、こちらがその気になりさえすれば、きわめて操作しやすい特徴だろう。まあ、国家という共同体の人柱としてふさわしい人材を抽出するための試験という側面もあるので、仕方のないことではあったのだろうけれど。

声が大きい人は信用されやすい

 人間が何かを信じる際、現状では、明確な根拠は必要とされていないように見える。ほとんどの人はそこまで解像度よく対象を吟味してはいないし、論理的に判断を下してもいない。一つの判断にそんなに時間をかけていられないのである。

 人は、「大きな体の人」が「大きな声」で「自信たっぷりに話す」ことで、いとも簡単にその人の話を信用してしまうことがわかっている。実際に、心理学の実験で、グループのメンバーにリーダーを選ばせるという実験をしてみると、論理的に話す人ではなく、声が大きくて体が大きく、確信を持って話す人が選ばれるという結果が出ている。

 逆に、とりわけ顔が見えるグループの中では、根拠を持って論理的に話す人は、むしろ煙たがられる傾向がある。人間は、かくもあいまいでだまされやすい存在なのだ。

信じる者は幸せなのか

 典型的な詐欺の方法としてもう一つ、「情報商材型」がある。この場合は、厳密には「声のボリュームが大きい」とは異なるが、やはり自信たっぷりに商品の効用を解説した後「あなただけにこっそりこのお値段で」と誘いかけ、その商品を絶賛する「お客様の声」を羅列する。人が何かを信じるときの心理状態を巧みに利用しているという点では共通している。他の詐欺に比べて被害額が少額なので、そもそも「自分がだまされた」と認識していないケースも少なくないかもしれない。

 ただ興味深いのは、情報商材型詐欺の被害者と新興宗教の信者の重複が少なからずみられることだ。理性やエビデンスよりも、人とのつながりを信用するタイプが狙われるといえなくもない。その人たちに、本稿で述べたような、だまされやすいタイプの話をしても、おそらく自分のことだと認識することはないだろう。そして、「そういう人もいるんだね」などという反応が返ってくることだろう。

 メタ認知の大切さを説く者に対して「あなたは業が深いね。そんなふうに人を疑って生きていて楽しいのか?」というような言葉を返すのではないだろうか。彼らは、「自分は最良の選択をした。その結果、自分は幸福になった」と信じている。詐欺被害に関する調査によると、被害に遭った人の幸福度は高いそうだ。だます側も、「俺は彼らをだましたんじゃない。夢や幸福を売っているんだ」とうそぶく。

 だます側とだまされる側、どちらが人間にとって幸せな生き方だろうかと、考え込んでしまいそうになる。

※中野信子『脳の闇』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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