山手線の驚異的な正確さと「いじめ」の関係 中野信子氏が解説する「正義のやっかいさ」

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 大雪や台風などがあるたび、ニュースでは交通機関の乱れが深刻な様子で語られる。しかし、天気は人にはどうすることもできないし、日本の鉄道の技術水準の高さとダイヤの正確なことは世界的にも有名だ。進んで遅延を招く鉄道会社もないだろう。

 都会では事故や設備故障による遅延は日常茶飯事で、中には少しの遅れにいら立ち、駅員に詰め寄る人もいる。こうした傾向は利用者の権利行使といえなくもないが、いささか日本的な現象であるようだ。中野信子氏の最新刊『脳の闇』から紹介しよう。

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正確すぎる?日本の鉄道

 日本の鉄道の運行について面白いデータがある。

 山手線が1周に要する時間は約60分である。乗り換えの有無にもよるが、1日に20周程度できる計算になる。この約20周分のうち、最も速い1周と、最も遅い1周の時間差はどれくらいになるか、想像がつくだろうか? ある1日をサンプルとして実際に測定を行った人が出した答えは、15秒である。平均的にはどの程度になるか、確かめてみても面白いかもしれない。

 1分程度の差があってもいいようなものだと多くの人は思うかもしれない。が、JRでは1分の遅延があれば「遅れ」とカウントすると聞いた。事故等がなければ、1周に要する時間の差は1分以内になるようあらかじめシステムが組み上げられ、制御されている、ということになる。その範囲に収まる「15秒」という数字は、日本の鉄道関係者の驚くべき努力と技術の結晶でもあり、これは技術を超越した何かを感じさせるデータにも見える。

 極めて誤差の少ない正確な運行を可能にするこうした気質を、同じ日本人として誇らしく思う一方で、正確さが重視されるあまり、過剰な責任を現場の人々が負ってしまっているのではないかと、気懸かりになることがある。2005年に起きたJR福知山線の脱線事故が思い起こされる。

 鉄道を例に挙げたが、日本全体に、どの分野にも、独特の空気とでもいうべき言語化しにくい何かがあるように思う。この「空気」は、人々が責任感を持って質の高い仕事を遂行したり、個人が努力して現場の課題を解決したりという大きな社会的利益をもたらすものでもあるのだが、あまりにその濃度が濃いために、窒息しかけてしまっているような人もたびたび見かける。

脳は「正義」を押しつける

 誰もが認める「正しさ」という空気のような何かがある。ポリティカルコレクトネス、と呼ぶ人も多いようだ。そこから逸脱した人をたたく行為が、この数年目立つようになった。「正しさハラスメント」とでも呼べばよいだろうか、時にはひどく息苦しく感じられる現象でもある。「正義のためなら誰かを傷つけてもいい」「平和のためなら暴力を行使してもいい」という思考をもつ人を、私は好きになれない。

 脳ではこの「正しさ」はどのように処理されているのだろうか。

 前頭前野には、良心や倫理の感覚を司っているとされる領域がある。これは前頭前皮質の一部にあたる場所で、内側前頭前皮質という。倫理的に正しい行動を取れば活性化され、快楽が得られる仕組みになっているようだ。「正しさ」に反する行いをした場合には逆に、ストレスを生じて苦痛を感じさせる。誰が見ていなくても、悪いことをするとうしろめたさを感じるものだが、それがこの苦痛だと考えてよいだろう。

 これだけ書くと、人間の行動を「正しい」側に持っていこうと制御する素晴らしいシステムであると捉える人が多いかもしれない。が、実際の運用上はそうなっているとも限らないのがやっかいなところだ。この良心の領域は、自分が「正しさ」に反する行いをした場合だけでなく、自分ではない誰かが「正しさ」に反する行いをした場合にも苦痛を感じさせ、それを解消しようと時には攻撃的な行動を取らせたりもする。

 つまり、正しさを逸脱した人物に対して制裁を加えたいという欲求が生じるのだ。「正義のためなら誰かを傷つけてもいい」という、よく考えれば矛盾した思考の源泉の一つがここにあるといってよいだろう。

 巷間よく言及されている、その人物に制裁を加えても自分の利益にはならないのに、なぜ攻撃するのかという問題に、これは一つの示唆を与える知見ではないかと思う。利益にならないどころか、返り討ちに遭う可能性すらあるにもかかわらず、それでも、その人を罰せずにはいられないというのは、制裁が功を奏して、その人物が行動を改めれば、自らの苦痛は解消されて快楽物質ドーパミンが分泌されるからだと考えれば説明がつく。

 正義の味方として、みんなのルールから逸脱した誰かを見つけ、そこに制裁を加えるだけで、お手軽に快楽物質が分泌されるのだとしたら、こんなに手軽なエンタメは他にはないというわけだ。人間が今の姿である限り、週刊誌的な記事はこれからも書かれ続け、読まれ続けるだろう。

甘く危険な「正義」の香り

 いじめ、と一口にいうけれど、子どもたちの間で起ころうとも、現象としては同じことだ。このことは、心理学者たちの研究をていねいにひもとけばわかることで、規範意識が高まっている状況下で、いじめはより激化するという研究さえある。要するに、規範に従わない者はどんな目に遭わせてもいい、という圧が、規範意識が高い場ではより起こりやすくなってしまうという理屈である。

「正義の味方」たちは、正義を執行する快楽に飢えていて、みんなの正義、みんなのルールが守られない事例をいつも探していて、冷静な言葉も論理的な思考もこの人たちを止めることは難しい。遮ろうとする者に対しては、いかにそれが理性的であったとしても、むしろそれだからこそ、正義の鉄拳を寄ってたかって振るいたがるものであるから、慎重に扱う必要があるだろう。

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 もちろん鉄道の正確さは素晴らしいことで、世界に誇れる特質なのは間違いない。悪事に手を染める必要もない。しかし他人に「正しさ」を説きたくなった時には、いつの間にかその人のためや、社会のためではなく、自分の気持ち良さが動機になっていやしないか、客観視する視点を持ったほうがいいということだろうか。

※中野信子『脳の闇』(新潮選書)から一部を再編集。

デイリー新潮編集部

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