慶応高の「清原ジュニア」以前にもいた…センバツに出場した“2世選手”

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三代にわたって甲子園出場

 今月27日に第95回選抜高校野球の出場36校が決定する。中でも昨秋の関東大会で4強入りし、出場が確実視される慶応高は、PL学園時代に春夏の甲子園を沸かせた清原和博の次男・勝児が三塁を守り、関東大会でも決勝本塁打を放つなど、父親譲りの強打ぶりを発揮。「親子2代のセンバツ出場」とファンの注目を集めている。そして、清原親子以前にも、センバツ出場の夢を叶えたプロ野球選手のジュニアたちが存在する。【久保田龍雄/ライター】

 親子二代どころか、孫も含む三代にわたって甲子園出場の夢を実現したのが、“初代ミスタータイガース”藤村富美男の“藤村一家”である。

 富美男は、大正中(1934年に呉港中に校名変更、現・呉港高)のエース・4番として春夏併せて6度の甲子園に出場。1934年夏には、川上哲治の熊本工を2対0と下し、全国制覇を達成するなど、“甲子園の申し子”だった。

 センバツでは、3年時の33年に2回戦で、京都商の沢村栄治と伝説の投げ合いを演じ、2対3と惜敗したが、富美男が登板する日は、外野席最後列で空き箱の上に立って観戦するファンのために、“空き箱屋”が繁盛するほどの人気だったという。

 後に阪神でともにプレーした弟・隆男も、39年に呉港中のエースとしてセンバツの舞台を踏んでいる。

輝かしき野球ファミリー

 その栄えある血統は、息子たちにも受け継がれる。富美男の長男・哲也は、65年のセンバツに育英の3番サードとして出場。初戦で徳島商戦に1対3と惜敗したが、4打数3安打を記録した。

 次男・雅美も67年のセンバツに三田学園の4番サードで出場。父と同じ投手兼任の二刀流だったことでも話題を呼んだ。1回戦で尾道商を11対6で下したあと、2回戦の熊本工戦では、5回に1点差に追い上げる三塁強襲のタイムリーを放ったが、追撃及ばず1対2で敗れた。

 さらに、哲也の長男・一仁は、三重・海星の三塁手として96年夏、次男・賢も三重・海星の捕手として98年夏、99年春に出場した。雅美の長男・光司も、2000年のセンバツに育英の捕手として、監督の父とともに親子揃って出場しており、親子三代6人(センバツは5人)が甲子園に出場するという輝かしき野球ファミリーだ。

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