史上初、2年連続で9回2死から「ノーノー」を逃した“川崎のサブマリン”

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ノーノー未遂ではなく「1安打完封です」

 次のチャンスは、9ヵ月後の翌84年5月29日に巡ってきた。相手は因縁の近鉄だった。

 初回に落合博満の先制2ランの援護を受けた仁科は、3回に金村義明に四球を与えた以外は、8回まで走者を許さず、4対0とリードして最終回のマウンドに上がった。

 先頭の金村を三振に打ち取ったあと、代打・島本講平は遊ゴロ。これで2死と思われた直後、水上善雄がファンブルしてしまう。ダイナミックな守備が売りの名手も、大記録達成を前に硬くなっていたようだ。

 だが、仁科は気持ちを切らすことなく、1死一塁から大石を遊飛に打ち取り、またしてもノーヒットノーランまであと一人となった。

「今度こそ」と強い気持ちで次打者・平野光泰に相対した仁科だったが、カウント1-1から投じた115球目、内角スライダーが、わずか数センチのコントロールミスで真ん中寄りに入ってしまう。「最後の打者になるのは嫌だからな」と打ち気満々だった平野がバットを一振すると、低い弾道の打球が左翼フェンスを直撃。この瞬間、2年連続でノーヒットノーランは幻と消えた。

 結果論だが、1死後のエラーがなければ、平野まで打順が回ることなく、2年越しの快挙が達成されていたかもしれない。

 しかし、仁科は「一生懸命やってのエラーじゃないですか。これまでミズ(水上)には何度もファインプレーで助けられているんですから、何とも思っていません」とチームメイトを気遣った。

 前年はファウルチップの落球、今度は内野ゴロエラーが回りまわって、画竜点晴を欠く結果に。ノーヒットノーランは、投手一人だけではできないことを痛感させられる。

 88年限りで現役を引退した仁科は、その後の人生でも2年連続ノーノー未遂の話がついて回ったが、そのたびに「(2年連続)1安打完封です」と答えていた。

「それだけでもすごいことですよ。まあ、私の人生を象徴してますね(笑)」。タイトルとは無縁ながら、地道にコツコツ努力を続け、5度の二桁勝利を含む通算110の白星を積み上げた“川崎のサブマリン”ならではの“勲章”と言えるだろう。

 ちなみに80年9月21日の阪急戦でも、仁科は7回1死まで無安打に抑えながら、マルカーノに左前安打を許しているが、この試合も1安打完封勝利。計3度のノーノー未遂は、いずれも1安打完封という形で完結している。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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