追悼「あき竹城さん」、山形弁で愛された個性派女優の「ペコちゃん」コレクション
昨年12月15日、女優・あき竹城さんが大腸がんのため逝去した。享年75。今村昌平監督の「楢山節考」をはじめ数々の映画やドラマで活躍したあきさんは、持ち前の明るいキャラクターと山形弁でバラエティー番組でも引っ張りだこだった。その女優人生を振り返り、故人をしのびたい。
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あき竹城さんが姿を見せると、その場がぱあっと明るくなった。何より故郷山形のお国訛りが温かかった。
あきさんはもともとダンサー。それも華やかなレビューの公演で知られた日劇ミュージックホールで踊っていた本格派である。身長は165センチ余り、バストも約95センチとダイナミック。彼女がにわかに有名になったのは1976年のことだ。
踊りの間のコントに挑戦。台本のままでは味気ないと山形弁で演じたところ大受け。以来、コントの花形に。
例えば夫の留守に若い恋人を呼び出す社長夫人の役。
「ワダス、ワダスだってば。これからデードすっか。場所はいづものアズゴだってばヨウ」といった具合。服装や場面は都会的で、方言との落差が爆笑を誘った。
タクシーでTBSまでと告げたら恵比寿に着いたというから訛りは本物だった。
47年、山形県米沢生まれ。本名は竹田明子。バンドでバイオリンを弾いていた父親は病気で他界。母親が米屋で働き、家族を支えた。
米沢市立第一中学校の同級生、本田忠夫さんは言う。
「大柄でダンスを習っていて大人びて見えました。この30年以上、同級生の皆と交流が続いていました。有名な芸能人になったのに飾ったところがなかった」
宝塚歌劇団に憧れたが、ダンサーになった姉を頼りに大阪へ。ひとりで地方のキャバレーを回った時期もある。山形弁で注目された76年には29歳になっていた。
「この頃まで母親から仕送りを受けたことがある、とぽつりと私たちに話してくれました」(本田さん)
同年、バラエティー番組の「独占!男の時間」に出演、明るいお色気でさらに人気を博す。映画「トラック野郎・度胸一番星」では婦人警官役で喝采を浴びる。「男はつらいよ」シリーズにも2本出演した。
映画評論家の北川れい子さんは言う。
「本当に素朴で正直な人。方言をからかっているのではなく、人を笑わせながら本人も楽しんでいました」
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