義時に政子は毒消し薬を…勝者なき「鎌倉殿の13人」で三谷幸喜氏が描きたかったこと

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三谷氏が本作で問うたもの

 三谷氏による大河は「新選組!」(2004年)、「真田丸」(2016年)に続き3作目。「三谷氏が初めて歴史上の勝者を主人公にする」という触れ込みだったが、終わってみると、三谷氏は義時も勝者だとは思っていなかった。権力を掌中に収めたが、孤独だった。その生涯は幸福とは到底言えない。

 小豪族の次男坊として、宗時や遠縁にあたる和田義盛(横田栄司[51])にからかわれ、従兄弟で幼なじみの三浦義村(山本耕史[46])とバカ話に興じていた青年期までのほうが、幸せだったに違いない。

 義時は鎌倉の権力を一手に握った後、希代の仏像作家・運慶(相島一之[61])に自分と似せた仏像をつくることを命じた。

「天下の運慶に、神仏と一体になった己の像をつくらせる」(義時、第45話)。

 どんな勝者の像が出来上がるのかと義時は楽しみにしていたが、運慶がつくったのは阿弥陀如来に邪鬼(たたりをする神)の顔がついた像(最終回)。義時は哀れな男だった。

 義時に引導を渡したのも家族。義時がお飾り程度にしか考えていなかった政子だった。政子は義時の告白によって、長男・頼家が病死ではなく、義時が善児に殺害させたと知ると、悲しみで体を震わせた。家族を愛する政子らしかった。

 さらに義時がまだ朝廷と争い、血の雨を降らせるつもりだと知ると、毒消し薬を渡さなかった。義時を殺す。家族を捨てた義時にふさわしい最期だった。

 この物語で三谷氏は全編を通じ「勝者とは何か?」と問い掛けていた。それは権力を握ったり、広大な所領を所有していたり、家来を何人も抱えたりすることではないだろう。家族愛に恵まれた者ではないか。現代にも通じるテーマだ。

 一方で戦乱や陰謀もきっちり描き、オーソドックスな時代劇好きも満足させてくれた。例えば源平合戦ラストの第18話「壇ノ浦の戦い」(1185年)、時政が畠山重忠(中川大志[24])を騙し打ちした第36話「畠山の乱」(1205年)、義盛が義時への怒りをぶつけた第41話「和田合戦」(1213年)である。

 だが、やはり家族の物語だった。北条家内で不協和音が奏でられ始める前は頼朝兄弟の肖像が描かれた。

 頼朝は父・源義明の3男だが、8男である義円(成河[41])が9男・源義経(菅田将暉[29])に嫉妬された。それが基でそそのかされて、戦場で命を落とした(第11話)。

 義経は頼朝のために平家と戦い、勝利しながら、野心を警戒されて死に追い詰められた(第20話)。温厚な6男の源範頼(迫田孝也[45])は安全かと思いきや、謀反を疑われ、やっぱり殺された(第24話)。

 三谷氏は「鎌倉殿の13人」のタイトル通り、権力闘争を描いたが、一方であの時代の家族を浮き彫りにした。だから血生臭い時代劇を苦手としがちな女性にまでもウケた。

 終わって見ると、最初から最後まで源氏と北条の家族の物語だった。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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